「人力と印鑑で動いている」介護保険の現場からハンコが消える!?
クリスマスに届いた大きな驚き
昨年の12月25日に厚労省が、介護保険について大きな決定を行ないました。
それは、介護保険関係の書類から、「押印(おういん)」つまり印鑑を押すことを廃止するという決定です。
この決定が通知されたのは、都道府県と市区町村の介護保険担当部署と、介護保険に関係する団体です。
通知は4本あり、一番重要な通知は「押印を求める手続の見直し等のための厚生労働省関係省令の一部を改正する省令」という表題です。
一般には、「介護保険最新情報」のvol.900からvol.903として公開されています。
もし、これが通知のとおりに行なわれたとしたら、介護保険に関係している人、すべてに大きな影響を与えるでしょう。
まだ、あまり話題になっていませんが、介護保険の関係者にとっては、無視できない内容なのです。
「介護保険は人力と印鑑で動いている」
介護保険の現場を知らないと、「押印がなくなる」と言っても、「このところ流行っている、不要な印鑑の廃止が及んだだけでしょう」と思うでしょう。
しかし、介護保険の現場は、「人力と印鑑で動いている」と言っても良いぐらい、印鑑が重要とされる世界なのです。
例えば、家族が要介護認定を受けて、ケアマネージャーさんを通じて、ヘルパーさんの派遣を依頼をすることを例にして見てみましょう。
ヘルパーさんが最初に訪問するときには、「派遣に関する契約書」「守秘義務に関する誓約書」「重要事項の説明を受けたことの確認書」などの書類を持参します。
それぞれが、A4用紙で、そこそこの枚数があり、説明を受けた上で署名と押印が必要です。
契約書に至っては、10ページ近い書類を袋とじで綴じてあります。
様式としては、法人同士の契約に準じており、個人がサービスを依頼したという手軽さはありません。
これを2通作って、それぞれに押印します。
2通が同時に作られたことを証明するために、重ねて「割印(わりいん)」が必要ですし、事業者によっては訂正に備えた「捨印(すていん」まで求められます。
このような作業が、事業者ごとに必要なので、在宅ケアが始まるまでには、まるで自分が不動産屋でマンションを買っているのでないかと思うぐらい、大量の署名と押印を求められます。
さらに驚くのは、ヘルパーさんの派遣が始まってからです。
1回の作業が終了したら、ヘルパーさんが、その日の作業内容を書いた「サービス実施記録」と、月単位の「ホームヘルパー勤務表」を持ってきて、それぞれに押印することを求められます。
つまり、何かをしたらハンコによる確認が必要な制度なので、ハンコがなければ仕事が終わらないのです。
まるで、タイムカードがなくて、出席簿に押印をしていた、昭和30年代のサラリーマンのような状況が続いているのです。
これが、毎日、しかも1日に2回も3回も続きます。
実際、毎日の押印の手間に耐えかねて「ここにシャチハタを置いておくから、ハンコが必要なときは自分で押してちょうだい」と、ヘルパーさんに押印を任せている家庭もあります。
もちろん、これは好ましいことではありませんが、それぐらい「ハンコ」が重視され、頻繁に押印が必要なのが介護保険の世界なのです。
それが、「押印」を廃止するというのですから、この世界に慣れている人ほど、信じられない気持ちなのです。
地方自治体や事業者への浸透が必要
実際に介護保険の現場から、押印(ハンコ)は無くなるのでしょうか。
厚労省に提出する書類については、通知とともに押印欄のない書類の様式が公開されました。
少なくとも、これらの書類は、ハンコが必要なくなります。
しかし、介護保険の世界では、都道府県や市区町村の単位で、独自の書式の書類がたくさんあります。
もちろん、厚労省からは「独自に定められている様式等において、国民や事業者等に押印等を求めている場合においては、押印の見直しへの積極的な取組を期されたい」と、独自の書式についても押印を無くすように努力することが求められています。
しかし、1本の通知で、すぐに書式が変わるかどうかは、見守る必要があるでしょう。
また、介護保険に関わる事業者にとって、その書類が、役所のチェックを通るか通らないかは、そのまま収入に直結します。
現場では、ハンコを押さない不安に耐えられず、「すみません、これ、押印欄はないんですが、念の為にハンコいただいてよろしいでしょうか」という現状維持の安全策に走らないとは限りません。
また、事業者が自前で用意している書類から、ハンコが無くなるのには時間がかかりそうです。
「押印をなくす」という通知が、どこまで浸透するかは、少なくとも数カ月は実情を見守る必要があるでしょう。
ICT化については「検討を進める」止まり
なお、本当にハンコを廃止したいのであれば、そもそもハンコのない、ICT(コンピュータ活用)のシステムに移行すれば良いのですが、そちらについては、厚労省はあまり積極的ではないようです。
たとえば、関連の審議会では、電子申請について「その実現のための諸課題を整理し、検討を進める」という表現に留まっています。
このあたりの姿勢も、「なんだかんだ言っても、大きくは変わらないのではないか」という疑念が生じる原因の一つでしょう。
厚労省が、どこまで本気なのかは、その指導を受ける市区町村の書類が変わるかどうかで判断できるでしょう。
介護保険に関わっている個人は、それまでは、シャチハタを手放さずに、成り行きを見守るしかありません。