旦木瑞穂の終活百景 第三景『東京湾海洋散骨体験クルーズ同乗記』
今回の終活百景は、東京湾で散骨を行なう事業の「海洋散骨体験クルーズ」に参加してきました。
このイベントは、株式会社ハウスボートクラブが行なっているもので、実際に「散骨」がどのように行なわれているのかを体験することができます。
出港からお別れ会まで
「ハウスポートクラブ」では、毎月1回、海洋散骨体験クルーズを行なっています。
私が参加した日は、前日の強風が嘘のようにおさまり、波も穏やかで青空が広がるクルージング日和でした。
乗船場所は、実際の東京湾での散骨クルーズ同様、晴海にある「朝潮小型船乗場」です。
ここは晴海運河にある桟橋で、波もなく穏やか。銀座や有楽町からも近く、都営大江戸線の「勝どき」駅から徒歩5分と、アクセスも良好です。
桟橋では、スーツにネクタイ、スカーフ姿のスタッフに出迎えられます。
ハウスポートクラブ代表取締役の村田ますみさんと、今日乗船する「LENNON(レノン)号」の村田弘英船長も、参加者たちを丁寧に案内しています。
スタッフは村田代表取締役と、船長のほかに、スタッフが2名。いずれもにこやかな対応で、親しみやすい雰囲気です。
参加者が全員船に乗り込み、席に着くと、前方に船長が登場しました。
乗船に対する感謝の言葉から始まり、本日の波や風の様子、散骨ポイントの緯度・経度、散骨ポイント到着時間、帰港予定時間などを、まるで旅客機の機長のように説明します。
船長の後に、村田ますみ代表取締役が、船内の案内や航行中の注意点などを説明し、いよいよ出港します。
この体験クルーズでは、村田弘英船長が散骨される故人という設定で、船内が飾り付けられていました。
船長は大のビートルズファンです。この船の名前「LENNON号」も、メンバーの一人ジョン・レノンの名前に由来します。船内にはビートルズの曲が流れ、船長が海をバックに微笑む写真が、色とりどりの花たちに囲まれて飾られています。
船室の奥には、メモリアルコーナーと題して、レコードやバイクの写真など、船長ゆかりの品々が展示されています。
実際の散骨クルーズでも、船内に流れるBGMを故人が好きだった曲にすることや、船内に故人を偲ぶ遺品展示スペースを設けることができです。
テーブルにはお茶菓子とドリンクメニューが用意されていて、好きな飲み物をいただくことができ、窓の外に広がる海を眺めながら、ゆったりとした気分に浸ることができます。
しばらくすると、村田代表取締役が再びマイクを手に取りました。
水に溶ける紙で折られた「おくり鳩」が配布されます。スタッフが手際良く「おくり鳩」を配りながら、お腹の部分にメッセージを書くように説明して回ります。
その間に村田さんが、遺骨を粉末状にする作業は、ブルーオーシャンセレモニーの事務所、「ブルーオーシャンカフェ」でできること。所要時間は大体1時間くらいで、遺骨の袋詰めも希望すれば自分の手で行なうことができることを紹介します。
船室を出て階段を登り、甲板に出てみました。前方では、船長が船を操縦している姿が見えます。
風が気持ち良く、しばらくベンチに座り、景色を眺めていました。
他の参加者たちも全員船室から出てきて、写真を撮ったり、スタッフに質問をしたり、思い思いに過ごしていました。波はなく、ほとんど揺れません。
やがて、前方にレインボーブリッジが見えてきました。船は晴海運河を出て京浜運河に入ります。
「これからお別れ会を始めます」と、アナウンスが入り、参加者たちは船室に戻ります。
「これより、故、村田弘英様の、海洋散骨式、お別れ会を始めます。はじめに皆様方には黙祷(もくとう)を捧げていただきます。船が揺れますので、お掛けいただいたままで結構でございます。黙祷」
スーツ姿で手袋をはめた、スタッフが司会進行を務めます。黙祷を捧げると、参加者の1人1人にカーネーションが配られ、献花台に花を捧げます。
全員の献花が終わると、「これより、散骨ポイントである羽田空港沖までは、約20分を予定しております。それまでご休憩いただきますよう、お願いいたします」
と、スタッフが告げます。これでお別れ会は終了です。
東京湾が海洋散骨に向いている理由
村田代表取締役にマイクが渡されると、お別れ会は、必ず皆さんがやるというわけではないこと、ゆったりと歓談しながら散骨ポイントに向かう場合も多いということを説明します。
「きちっとやりたいという方もいれば、お弁当を食べたり、映像を流すなどして自由に過ごすグループもあります。僧侶が乗船して、船の上で四十九日の法要を行なう方もいます。ただ、船上では焼香はできないので献花になります。牧師さんが乗船したこともありました」
資料が配られ、「貸し切り」「乗り合い」「代行」の3つの海洋散骨プランが説明されます。
60代の女性から、「散骨は全部するのか」という質問がありました。
「全部でも一部でも構いません。全部撒く方もいれば、半分、3分の1、いろいろな方がいます。ご自身の手で散骨できない方のための代行の場合でも、ご自宅に引き取りに行きます。私たちはお骨を荷物みたいに送ることはしたくありません。実際にご遺族に会って打ち合わせをして、遺骨を手渡しでお預かりしたいので、全国どこへでも行きます。来週は……」
村田さんがスタッフに視線を送ると、スタッフは「岡山まで行きます」と答えました。
「散骨クルーズは、風速10m以上にならない限り欠航はしません。2015年は200件以上散骨を行ないましたが、幸い一度も欠航しませんでした」
東京湾は周囲を陸に囲まれた湾なので、強い風を遮ることができ、波も他の海に比べて穏やかなのだとか。
「東京湾ではこの船を使いますが、ご要望があれば、横浜でも相模湾でも沖縄でも、どこの海でも行きます。国内だけでなく海外も行きます。海外はハワイに行くことが多いですね。でも、一番のオススメは東京湾です」
東京湾はLENNON号が使えるので、対応できるサービスの幅が広いのだそうです。
散骨から帰港まで
京浜運河を出て、羽田空港が近づいてきました。運河を出ると少し揺れることもありますが、さほど気になりません。
船室の上のベンチで潮風に当たっていると、海上に魚が跳ねる様子が見えました。船長によると、ボラだそうです。
羽田空港が近いこの辺りからは、東京タワーやスカイツリー、東京ディズニーシーのプロメテウス火山が見えます。冬場の空気が澄んだ快晴の日は、富士山が見えることもあるそうです。
世界に向けて飛び立つ飛行機や、これから着陸する飛行機が、船の上を通り過ぎていきます。
そろそろ散骨ポイントに到着するとの案内を受けて、船室に戻りました。
お別れ会で献花した花と、メッセージを記入しておいた紙製の「おくり鳩」をセットしたものが配られます。船の最後尾のデッキから、海に向かってカーネーションを投げ、花びらを撒きます。
深い青色の海に、カラフルな花びらと赤いカーネーションがゆらゆらと浮かび、とてもキレイです。
参加者全員の散骨が終わると、鐘を10回鳴らし、全員で黙祷した後に、船は散骨ポイントの周囲を大きく3周回ります。これで最後のお別れです。
船室の上のベンチから、小さくなっていく花びらを眺めていると、とても穏やかな気持ちになってくるから不思議です。
しばらくして船室に戻ると、デザートビュッフェの準備ができていました。
デザートの種類は6種類。この日は、チーズケーキ、チョコレートケーキ、トロピカルゼリー、マンゴープリン、かぼちゃのタルト、ドラゴンフルーツボートでした。
どれも本格的な味で、食べ応えのあるスイーツばかり。海を眺めながら、好きなだけ味わえるデザートビュッフェ。なんとも贅沢な気分です。
帰港途中、お台場の海に船を停め、カモメにエサやりをしました。
お台場の海には、カモメが何十羽もいます。エサを手に持ち、高く掲げて待っていると、カモメがスッと飛んできてエサを奪い、飛び去っていきます。クルーズの参加者も、自分の手からカモメがエサを奪っていくと、声を上げて笑っています。
桟橋に戻るまでは、デザートビュッフェをいただきながら、「散骨証明書」についての説明や、手元供養品の紹介、村田さんが手がけている終活コミニュニティカフェ「ブルーオーシャンカフェ」が取り上げられたテレビ番組を観て過ごしました。
村田代表取締役が、参加者たちに、海洋散骨体験クルーズの感想を聞いています。
60代の女性は、「主人が遺言で散骨を希望していたので参加しました。説明を受けるだけと実際に体験するのとでは全然違いました。自分も最期はこういう形を選びたいと思いました。これで不安なく進められます」と穏やかな顔で話していました。
また別の60代女性は、「散骨がいいなあと10年以上前から思っていました。今日、体験できて良かったです。最高の気分です」と清々しい表情で述べていました。
参加者は年配の女性が多いようですが、この日は男性もいましたし、30〜40代のカップルも参加していました。
散骨体験クルーズは、以前は2カ月に1度の開催でしたが、参加希望の方が増えて、予約待ちが発生するようになったので、1カ月に1度に回数を増やしたのだそうです。
「みなさま、お疲れ様でした。今日はお天気にも恵まれ、珍しく少人数でアットホームな雰囲気で、中身の濃いクルーズになりました。この後、もし散骨についての相談や質問がありましたら、『ブルーオーシャンカフェ』にぜひお越しください。本日は散骨体験クルーズにご参加いただき、本当にありがとうございました」
村田さんが最後の挨拶をすると、参加者たちは拍手をし、笑顔で下船して行きました。
海洋散骨体験クルーズにかかった時間は、約3時間でした。
母の死をきっかけに
村田ますみ代表取締役が、事業として海洋散骨を始めたのは、今から約10年前の2007年のことです。
「暗くてじめじめしたところは嫌。お墓には入りたくない。沖縄の海へ散骨してほしい」
村田さんのお母さんは、2003年1月に、急性白血病を発症しました。それまでは国内外のさまざまな海に出かけては、ダイビングを楽しみ、アクティブな毎日を過ごしていました。
入院してから9カ月。一度も外へ出られないまま、病室で過ごしたお母さんが村田さんに残したのが、冒頭の言葉です。
お母さんは、55歳で亡くなられました。まだ、ご本人の両親が健在なほどの若さです。
「今でこそ、散骨っていう言葉をよく耳にするようになりましたけど、当時母は、できるかどうかまで考えて口にしてはいなかったと思います」
村田さんは「お墓には入りたくない」というお母さんの希望を叶えてあげたいと思いました。
お母さんの葬儀から1年。村田さん家族はお母さんの遺骨を抱えて沖縄に向かいました。お母さんが大好きだった伊江島の海を目指します。沖縄本島の北部から東シナ海に突き出した本部半島、そこから約9km離れた場所に位置する、周囲22.4kmの島が伊江島です。
船は、家族ぐるみでお世話になっていたダイビングショップのオーナーに頼み込み、遺骨の粉末化とセレモニーは、インターネットで探し出した地元の業者に依頼しました。
当日はあいにくの曇り空。それでも沖縄の海は青く透きとおっていて、ゆっくりと海底に沈んでいく遺骨が小さくなるまで見えました。その様子がとても綺麗で、村田さんは今でも時々脳裏に蘇ると言います。
「散骨を終えて陸に戻る間、それまで1年以上、ぽっかりと穴のあいていた心がとても清々しく、すっきりするのを感じました。新しいことをはじめよう、前に進もうって、その日をきっかけに少しずつ前進する気力が沸いてきたのを今でも覚えています。いいなあこういう選択肢、これから増えるだろうな。と、その時は漠然と思っていました」
船長との出会い
散骨という体験を経てまもなく、現在のご主人である村田弘英船長と出会いました。その頃、弘英船長は、パーティークルーズの船長を務める傍ら、海洋散骨クルーズの船長も担当していました。
「『私も母のお骨を散骨したんです』って言って、初めて会ったその日に、散骨の話で盛り上がったんです」
村田さんは笑います。
やがてお付き合いが始まると、弘英船長と海洋散骨の話をする機会が増え、自身でも情報収集に努めます。村田さんは海洋散骨への興味が増すばかり。そのうちに、自分で海洋散骨をプロデュースすることを強く意識し始めます。
そんなある日、弘英船長が「船を買って独立したい。一緒にやらないか」と言い出します。
村田さんは驚きますが、実は村田さん、会社を立ち上げるのは初めてではありませんでした。大学時代、今で言うポータルサイトのようなサイトを運営する会社を友人と3人で興していました。その当時はまだようやくパソコンが普及し始めた頃で、ブロードバンドなどはなく、深夜のある時間帯だけつなぎ放題になるような時代です。狭い下宿で3人、毎晩のようにパソコンと格闘していました。
村田さんは大学を卒業後、しばらくしてからその会社を離れ、別のIT企業に就職しました。村田さんが最初に興した会社は、現在も順調に経営を続けているそうです。
そして2007年。村田さんは弘英船長とともに船を購入し、人生2度目の起業に踏み切ります。
「子どもの頃からマイペースな性分なので、企業に勤めるよりも自分で興す方が合ってるんです」
『一般社団法人日本海洋散骨協会』設立
「始めたばかりの頃は、パーティークルーズがメインでした。でも2015年には、散骨クルーズとパーティークルーズが逆転しました」
2015年の散骨数は200件を数えます。2011年の震災後、急激に散骨クルーズを利用するお客さんが増えたといいます。
起業した2007年は、そもそも『散骨』という言葉自体が、まだ世の中にほとんど知られていませんでした。まずは営業活動からスタートし、村田さんはさまざまな葬儀社を回ります。
しかし、「散骨しませんか」と言ったところで、門前払いは当たり前、「何それ」と冷たくあしらわれることは日常茶飯事、「お骨を海に撒くなんて、違法じゃないの」と不審がられることも頻繁にありました。この年、成約した散骨数は5件でした。
しかし、徐々に『散骨』という言葉が社会に浸透していきます。
それと同時に村田さんは、営業活動の中で、海洋散骨に関するルール作りの必要性を痛感していきました。
海洋散骨は、“海に遺骨を撒く”という特殊な行為です。そのため、海を生業とする方々とトラブルが生じたり、環境保全の観点から問題視される可能性がありました。そういった重篤な問題が起こる前に、海洋散骨に関してのガイドラインを定め、悪質な海洋散骨を抑止していかなければならないと、村田さんは考えたのでした。
そして2012年、村田さんは任意団体『日本海洋散骨協会』を立ち上げ、2年後の2014年、『一般社団法人 日本海洋散骨協会』を設立しました。
「同業者同士で、『作ろうよ。必要だよね』って少しずつ声かけして作りました。それまではこそこそやってる感じがあって。散骨という言葉や行為が1人歩きして、法整備や行政の手続きが追いついてない、ノールールの状態が続いていて、怖いなって思っていました。極端な話、お台場海浜公園の中で散骨をしても今は問題ないんです。トラブルが起こる前にちゃんとしたルールを作って、その中でやっていこうと思いました」
現在、全国で25社が加盟しています。
『一般社団法人日本海洋散骨協会』のサイトには、こう書かれています。
『一般社団法人日本海洋散骨協会』は、海洋散骨に関してのガイドラインを定め、これを遵守することにより、節度ある海洋散骨を通じて、ご遺族に安全かつ安心できる海洋散骨を提供してまいります。
それは、村田さんのお母さんのように、海洋散骨を希望している、多くの方の要望に応えるためでもあったのでした。
次回は、村田さんが手がけているもう1つの事業、終活コミニュニティカフェ「ブルーオーシャンカフェ」を紹介します。
「ブルーオーシャンセレモニー」
- 住所/〒135-0002 東京都江東区住吉2-2-4
- TEL/0120-364-352(フリーコール 24時間年中無休)
- ホームページ/http://352.co.jp
旦木瑞穂(たんぎ みずほ)
1975年愛知県出身。
産経デジタル「New Roses Web」にてグルメ・イベントレポートや、鎌倉新書「月刊 仏事」で葬儀や介護に関する記事などを連載。
各種パンフレット、ガイドブックなどの企画編集のほか、グラフィックデザイン、イラスト制作も行なう。
Twitter:@mimizupon