【特別インタビュー】住民の“あったらいいな”を集めた『七浦プロジェクト』
~医療、介護、病児保育、生活支援を廃校に集約
少子化の影響で、廃校になる学校は少なくありません。医師も減少の一途をたどる一方で、高齢者ばかりが増え続けています。この現象は、全国の多くの自治体が直面している問題だといえるでしょう。
こうした現実に先鞭をつけ、住民の助けとなっているのが『七浦プロジェクト』です。
南房総市にあるこの拠点は、これからの医療と介護を支えるヒントになりそうです。そこで代表の田中かつら氏に、『七浦プロジェクト』についてお話を伺いました。
住民の“あったらいいな”を集めた場所
七浦プロジェクトが生まれた背景を、教えてください
七浦診療所の開業から、ちょうど10年経ちました。旧診療所は手狭で、待合が狭く、職員の休憩室も狭かったのです。そんな矢先、2014年の3月に七浦小学校が閉校するということになりました。
地域住民が誰でも使えるようにしたいと考え、閉校前に私は市長を訪ねたのです。その際に七浦プロジェクトの草案を伝えました。閉校後には七浦小学校の利活用検討委員会が行なわれ、私の案が採択されたのです。
七浦の地域は近くにコンビニもなく、お弁当や駄菓子を販売する店も閉店していました。リハビリを行なう施設や病児保育を行なう場所も、近くにはなかったのです。
私は東京都目黒区の生まれで、人との関わりが比較的少ない都市で育ちました。その後、縁あってこちらへ移り住んだのですが、診療所も閉院して近くになかったのです。
近所の方々から望まれて開業したものの、見知らぬ私に診てもらうのは、不安だったのではないでしょうか。それでも、地域の皆さんが非常に親切にしてくださったのです。その恩返しに、私ができることをこの地でやっていきたいと思いました。
診療所のスタッフはみな快活で、笑い声が絶えません。彼女たちは「用事がなくても顔を見せに来て!」と住民の皆さんに声をかけています。
すると、いろんな方の本音が聞こえてくるのです。例えば「お風呂に一人で入るのが怖い」とか「バスの段差が高くて昇れない」「弁当を買う店がない」とか。診療をしながら聞いた、そんな住民の“あったらいいな”をここに集めたのが七浦プロジェクトです。
こちらの廃校にどのような手順で、入っていったのでしょうか
改装がはじまる前に、一室を居宅介護支援事業所にしました。2015年12月のことです。そして2016年11月から、訪問リハビリを始めました。
一期工事としてようやく半分の改装が終わり、2017年11月に診療所や調剤薬局が移転。同時に通所リハビリ施設、『ななうら横丁』という惣菜や日用品の販売所がこの廃校跡地に新規開業しました。病児・病後児保育室は、その1年後にあたる2018年11月からスタートしたのです。
都市部に比べるとモノや心は豊かな土地、自給自足と共助の精神
物販を行なうNPO法人『ななうら』は、どのような形で生まれたのでしょうか。
お弁当や駄菓子を販売する店が閉店したため、我々は「売店をつくろう」という話をしていました。しかし医療法人は、物販を行なえません。また医療法人は業務として、患者さんの送迎をすることはできます。しかし診療の帰りに売店で買い物をしたら、医療法人は送迎できないのです。
医療法人ができることは、非常に限られています。そのことを法人として開業してはじめて認識しました。それで、“医療から支えられない部分を地域の人たちとともに支え合う仕組みを作ろう”と思い立ったのです。
その後、私はNPO法人『ななうら』をつくりました。NPO法人『ななうら』の理事長は七浦4地区の代表者にお願いし、『ななうら横丁』をつくったのです。
高齢者の買い物や通院には、家族や近所の人が手伝っていました。『ななうら横丁』ができて、「人の世話にならずに、買い物に行ける」という声をいただきます。またここでは、住民がつくった野菜の販売もしています。高齢者から放課後の子どもたちまで、たくさんの人が利用されるようになりました。
住民の皆さんは、お金の出し入れはどうしていらっしゃるのでしょうか。
住民の皆さんは郵便局や漁協や農協の金融機関でお金の出し入れをしています。コンビニは4~5km先にしかありません。そこまで行くのが、大変なのです。
住民からの希望もあり、ここを改装する際に“ATMを置きたい”と思いました。ところが銀行にお願いすると「ここにある程度の利用者が集まらないとATMは置けません」と断られたのです。もっとたくさんの人が来てくだされば、設置してもらえるのでしょう。
住民は「あの場所なら通える」というイメージが持てる
廃校を再利用することのメリットは、どのようなことがありますか。
この町の方々はここに生まれ育ち、あまり転居することがありません。ただ七浦小学校には「歩いて」通っていたので“あの場所なら通えるだろう”と感じられているわけです。
そのイメージが非常に大事で、知らない場所へバスに乗っていくよりはハードルが低いでしょう。平地でもありますし、高齢者も比較的歩きやすいです。
ここが、誰でも居られる場所になればと考えています。介護サービスを利用していない人でも、居場所があることが大事なのではないでしょうか。
ここの図書室には、七浦小学校の古い写真がたくさんあります。時折、七浦の方が訪れて写真を見ながら、「俺の親父がいるよ!」「建て替え前の古い校舎だ」と眺めていらっしゃいます。
一方、廃校を再利用することのデメリットは、どのようなことがありますか。
小学校というのは一般の公共施設に比べて、建築法や消防法の規制が緩いのかもしれません。例えば小学校は、防炎の壁材を使わなくてもよかったようです。ところが不特定多数の人が訪れるこのような施設は、全体に防炎対策をしなくてはなりません。壁材は、全て張り替えが必要でした。
ここは下水道がないため、合併浄化槽の設置が必要です。閉校した頃、幼稚園、小学校併せて生徒は70人程度でした。小学校の敷地(2,976平方m)はこれだけ広いのに、わずか32人槽の浄化槽なのです。
しかし、施設利用にあたり土地の広さから考えて、どんなに小さく見積もっても320人槽が必要です。つまり10倍の大きさですが、それを用意するのに5千万円かかります。
幸いこの施設は公的な支援をいただくことができたので、浄化槽の工事費は払わずにすみました。しかし、どこの廃校でもその支援が受けられるわけではないはずです。『廃校利用』とよく言われますが、その浄化槽の費用だけでもつまずきます。
ここは築十数年の校舎でしたから、比較的新しくバリアフリーでした。その点では、まだ良かったのかもしれません。ただ学校として使われていた当時から雨漏りがあり、使用しないでいるとますます老朽化します。現在でも改修が必要な箇所はたくさんあり、市と協議しているところです。
ここは幸い、ほとんどの棟が平屋建てです。しかし2階や3階建ての校舎が一般ですから、耐震構造も考えなくてはなりません。
わざわざ廃校を利用するより、ゼロから建てたほうが安いんじゃないかと思うことがあるほどです。
各地の廃校利用がなかなか進まない理由は、そんなところにあるのではないでしょうか。地域の皆さんの七浦小学校への思いがなければ、私もこのような取り組みをしなかったかもしれません。
第二期工事では、どんなことを行なう予定なのでしょうか。
第二期工事は、介護棟の建設です。理科室や音楽室などがあった特別教室棟を改装して、1階は通所リハビリ施設に、2階にはショートステイ施設とする予定です。
有床診療所としての選択肢もありますが、ここには馴染まないなと思いました。地域医療は、医療が生活に寄り添っていかないといけないと考えています。診療所がそばにあって、泊まりもできる介護施設があったら便利でしょう。
行政も、介護や医療を繋ぐ医師を求めている
医療や介護の現場の関係づくりについても、教えてください。
医療と介護、保育と生活支援を一箇所で行なうというのは、南房総市でも初めての試みですし、全国でもこのような施設は少ないのではないでしょうか。行政もおもしろいと感じているようで、我々を応援してくださいます。
行政と医療、福祉の関係は地域によってさまざまです。どの地域でも行政と介護や在宅医療を繋いでくれる人材、特に各方面に関係性が持てる医師を求めているのではないでしょうか。地域包括支援センターや市の保健師さんから、当診療所には相談が寄せられます。認知症初期集中支援チームのような関係が構築されているといえるでしょう。
使い古された言葉ですが、顔の見える関係をつくっていくことで、万事がうまくいくことになります。行政も市民もここへ来て、困ったら誰かが助けてくれる…そんな場所です。
最後に七浦プロジェクトや、南房総市で行ないたいことをお聞かせください。
お風呂屋です。この辺りは大きな山がありませんので、温かい温泉が湧くことはありません。ただ、常に天然水が流れています。それを沸かしてお風呂にしたいと思っています。
高齢者は一人でお風呂に入るのは不安だという方が多く、介護施設利用しない方のためにもお風呂屋をやりたいのです。地域の方が、温泉を楽しみにまた七浦に来てくれる…まだ妄想の域ですが、それが私の願いです。
本日は貴重なお話をお聞かせいただき、誠にありがとうございました。
【田中かつら氏プロフィール】
医療法人社団 桂 理事長・院長。医学博士。1985年川崎医科大学医学部卒業後、北里大学東病院神経内科や青溪会駒木野病院などに勤務。また、1994年より鹿児島県大島郡医師会病院神経内科の非常勤医師としても従事。2008年より、南房総市千倉町大川で七浦診療所開業。地域の人々の医療と介護を行なっている。