旦木瑞穂の終活百景
第十七景『天国に一番近い霊安室を有する「亀田総合病院」』

[2017/1/16 00:00]

霊安室と言えば、暗くて閉鎖的なイメージを持っている方が多いと思います。

しかし、千葉県の南房総にある亀田総合病院の霊安室は、病院の最上階に位置し、全室一面ガラス張りのオーシャンビューです。

今回は、「天国に一番近い霊安室」を設計した亀田総合病院、亀田信介(かめだ しんすけ)院長にお話を伺ってまいりました。

亀田総合病院、亀田信介院長

亀田総合病院のコンセプト

亀田総合病院は、Kタワーと呼ばれる13階建てのビルを中心に、8棟の建物で構成されています。

ヘリポートの奥に見えるのが「Kタワー」
亀田総合病院の構成。広い敷地にほとんどの診療科が集結している

「天国に一番近い霊安室」は、Kタワーの最上階、13階に設けられています。Kタワーが作られたのは今から11年前の2005年のこと。亀田院長はKタワー建設にあたり、新しいコンセプトを立てました。

「まず、我々のミッションとして、医療サービスとはどうあるべきかということを考えたときに、『健康に対して介入して、生活や人生の質を高める』ということがあります。病院は社会基盤であり、インフラとしてのサービス業だと考えています」

亀田院長が言う健康とは、WHOが掲げる、「肉体の健康」「心の健康」「社会的健康」「魂の健康」4つの健康を指します。

「Kタワーとしては、4つの健康とはまた別に、『患者さま中心の医療の実践』というコンセプトがありました。具体的には、『個別性の尊重』『人間性の尊重』『知る権利の尊重』の3つです。当院は、できるだけパーソナルなサービスを行おうと考えています。人間性を尊重し、患者さまが知りたい情報を公開することも重要なサービスのひとつです。当院では、1995年より電子カルテシステムの本格運用を開始し、1999年春よりナビゲーション・ケアマップ、電子カルテ、オーダリングシステムを基幹として、すべての情報が統合的に電子化された新しい統合型医療情報システムを、病棟も含め、全面稼働させました」

今でこそ、他の病院でも同様のシステムを採用していますが、「外来を切り離して、各科それぞれの役割や機能に特化した場を作る」という考え方のもと、各科同士が情報を共有するために、電子カルテが必要となりました。亀田総合病院レベルの大規模な病院が電子カルテを全面稼働させたのは、日本で初めてのことでした。

「しかも個室に入院された患者さまは、登録すればベッドサイドでいつでも自分のカルテを見ることができます」

患者さま情報プラザ「プラタナス」。患者自身で病気や症状などについて調べることができる

統合型医療情報システムの全面稼働により、患者一人一人を中心とした診療計画の作成、チーム医療の実践、そして実績データ管理などを総合的に支援し、完全なペーパーレス、フィルムレスを実現しました。

急性期医療のみならず、健康管理からリハビリ、在宅医療など、あらゆる分野にわたる医療サービスを最適に提供するためのツールとして、各個人の生涯にわたる健康データベースの構築や活用、生活の質の向上や新しい医療技術、医療制度開発の基盤作りにも大きな力を発揮します。

亀田総合病院のテーマ

「当院のアメニティのテーマは、ホームライクです。なぜそうしたかと言うと、リゾートへは非日常を求めて行きますよね。裏はバラックだとしても、ホテルから見える景色はきれいに整えて、日常を見えないようにしています。ディズニーリゾートにしても、ゲストには日常を感じさせない演出をしています。だけど病院は逆に、病気になった瞬間に、その現実が最大の非日常になるため、患者さまは日常に戻りたいと強く願います。だから病院の中では、日常を演出することが重要なのです。そういう意味で、ホームライクをテーマとしました」

同病院の中には、カフェもベーカリーも美容院もコンビニもあります。

「では、『どのようなアメニティがコアになるのだろう』とホームライクを突き詰めていくと、一番は『普段一緒にいてくれる人』の存在です。いつもそばにいることが当たり前になっているけど、いてくれるだけで安心できる人、わがままを聞いてくれる人。そんな大切な人がそこにいてくれることが、最も大きな日常だと考えました。もちろん、好きな時に好きなものが食べられることも大切です。でも一番のケアは、ご主人がいたり、奥さんがいたり、お子さんがいたり、恋人がいたり、自分を支えてくれる人が変わらずそばにいることだと思います」

同院には、患者、病院スタッフ、家族・友人をも包含した“チーム医療”というコンセプトから、サポーター制度があります。患者が指名した人は、「サポーター」となり、24時間面会ができる「サポーターカード」というICカードを発行してもらえます。

そのため、たとえば夜、都内で仕事を終えた家族が高速バスで面会に訪れ、そのまま病室のソファーベッドで休み、翌朝、そこから出勤することも可能です。

「病院の場合、特に最期のお見送りは非常に大切な儀式です。我々スタッフは、患者さまの家族も治療チームの一員と考えているので、患者さまが亡くなった時というのは、サポーターに対しても、スピリチュアルケアやサービスを病院としてやっていくべきだと考えています」

長年にわたる医療現場経験から、患者にとってのサポーターの重要性に早くから目を向け、すでにグリーフケア的なフォローアップのための研修を始めているといいます。そして、霊安室を最上階に設けたことも、ホームライクやサポーター制度、スピリチュアルケアやグリーフケアの延長線上にあると亀田院長は話します。

コンセプトとテーマを満たす霊安室

「日本の場合、亡くなると、火葬するまで遺体は家族と一緒にいるのが通常です。しかしアメリカでは亡くなった瞬間、霊と肉体は離れてしまうという考え方から、肉体は遺体安置所みたいなところに入れられ、家族は病院内にある教会やメデテーションルームなどで過ごします。だから日本の場合は、教会と遺体安置所の両方の機能を兼ね備えた場所が必要です。遺体だけどこか別の場所へ置いて、『どうぞこの部屋でゆっくり悲しみを癒してください』と言っても、誰も納得しません」

Kタワーの設計を考えていた当時、「霊安室は教会と遺体安置所の両方の機能を兼ね備えた場所であるべきだ」と亀田院長は考えていました。しかし、最適な場所がなかなか見つかりません。具体的な問題として、匂いの問題がありました。お線香です。

「今は匂いのないお線香がありますが、匂いというものは、実は最も防ぎにくいものです。音は防音壁で防げますが、匂いは厄介です。病院のフロアプランを考えた場合、お線香の匂いがしても問題がないフロアは、ありませんでした」

多くの患者は、病棟のどこかからお線香の匂いがしてきたら、不快に感じるでしょう。「いっそ地下にしようか」と考えますが、免震構造であるKタワーは、人工地盤の上に建っているため、地下を作ることはできませんでした。

亀田院長は悩み、ひととおり考えた末、最後に残ったのが最上階でした。

「みんな反対しました。でも、もともとプロジェクトも設計も全て私がリーダーでしたから、『天国に一番近いところが一番いいに決まってる』と言って、反対されても強引に作ってしまいました」

亀田院長は笑います。

Kタワーのトップフロアはオープンエアで仕切られていて、南側と北側は繋がっていません。下の階で北側に移動してから上がらないと、霊安室のあるフロアには行けない構造になっています。

「日本では亡くなった場合、入ってきた場所とは別の出入り口から出さなければいけません。出口は、できれば北側が一般的です。その動線を考えると、今の場所以外は考えられませんでした」

こうして、「天国に一番近い霊安室」は誕生したのでした。

運用面でのメリット

「天国に一番近い霊安室」
お棺を安置する台も亀田院長がデザインした
窓の向こうには鴨川の青い海が広がる
光が差し込む中に白いソファが並ぶ様子は霊安室に見えない

ついに、Kタワーの最上階である13階に霊安室が完成しました。「天国に一番近い霊安室」は、全部で3室あります。どの部屋も入口の反対側の壁が全面ガラス張りになっていて、オーシャンビュー。その眺めは、息を飲むほどの美しさです。

「霊安室だけ用意すればおしまいではありません。次は運用です。1日は24時間です。でも、病院の日勤帯は、24時間の3分の1、8時間しかありません。だから患者さまが亡くなるのは、看護師の手が足りない夜勤帯が多いのです。Kタワーができるまでは、患者さまが亡くなると、看護師がお身体を綺麗にしたり、お化粧したりしていました。しかし慣れない仕事で、時間がかかりました」

看護師は死化粧や、死後処置のプロではありません。

「その間、家族は居場所がなく、廊下の隅などで待つしかありませんでした。人目を気にして、思うように泣くこともできません。親族などへの連絡も、家族間でする相談ごとも、他の患者さまたちの邪魔にならないように、こそこそと行うしかありませんでした」

現在は、携帯電話が普及したので少なくなりましたが、それ以前は、病院の待合室などの片隅に置かれていた公衆電話で、周囲に遠慮しながら、親戚や葬儀社へ連絡していたと言います。

「私は、これらの問題を全部解決しようと思いました。効率的に考えたら、死後処置や死化粧は、手が足りない看護師がやるより、プロに任せた方がいいに決まっています。処置する部屋も、シャワーや道具が全部揃っている、やりやすい部屋を設けようと思いました。まず最初に、患者さまが亡くなったら処置室へ移動させればいい。やりやすい場所で、プロがやった方が、誰がどう考えても、良いですよね」

亀田院長は決断し、地元の葬儀社に相談しました。現在同病院では、交換台に連絡すると、葬儀社のスタッフが亡くなった患者を迎えに行き、他の患者には見えない動線で、13階の処置室まで移動させます。

霊安室のはす向かいにある処置室には、おくりびとが24時間待機しており、湯灌や死化粧などに対応しています。

霊安室の向かいにある処置室

「プロにご遺体を綺麗にしてもらっている間に、家族はメデテーションルームをイメージした霊安室で待機してもらって、綺麗になってから対面できます。霊安室横の小部屋では、どこでお葬式をやろうか、という細かい相談も、気兼ねなくできます」

霊安室の隣には、2~3畳ほどの小部屋にテーブルと椅子が用意されており、亡くなった患者の家族が自由に使えます。

霊安室脇に遺族が使える小部屋が用意されている

「看護師は看護師の仕事。おくりびとはおくりびとの仕事。プロがやった方がみんな幸せです」

病院は、医療以外のサービスで収入を得てはならないため、亀田産業株式会社が同院のサービス関連を担っています。

亀田院長は亀田産業の社長も兼務しており、霊安室やその関連サービスは、亀田産業からアウトソーシングしています。

「葬儀社の斡旋はしません。亡くなった患者さまを綺麗にして送り出すところまでお願いしています」

患者は、昼も夜も関係なく亡くなります。病院としては、ベッドが空くのを待っている次の患者さんがいるため、なるべく早く場所を空けて欲しい。だけどもちろん、ぞんざいに扱うことはできません。この問題は、ずっと改善されないままでした。

家族は、悲しむ場所もありませんでした。大切な家族が亡くなったのに、「処置をするから出てってください」と言って病室から出されてしまいます。

「救いようがない現実を、何とかしたいと思っていました。だけどまだ今でも、ほとんどの病院は改善されないままですよ」

亀田院長は苦笑しました。

初めて尽くしの亀田総合病院

「霊安室は、『宗教色は出さないで、教会のような厳かな雰囲気をどう演出しようか』と考えてデザインしました。でも、デザインよりも意味があるのは、『病院の今までのやり方が当たり前ではないんだ』『どうしたら少しでも改善できるんだろう』と考えることです。たまたま霊安室の話をしているだけで、全てに言えることですが、『病院だから仕方ない』を無くす。それが私のコンセプトです」

同病院では、日本で一番最初に患者のことを「患者さま」と呼び始めました。現在でも賛否両論あると言いますが、同病院が「患者さま」と呼び始めた当時、公衆の面前で客に対して「さん」づけだった施設は、役所か郵便局、そして病院くらいでした。

「病院は究極のサービス業だと思います。もちろん、患者さまに合わせるのは、個別性の尊重として重要です。相手によって、打ち解けてきたら、臨機応変に対応を変えて良いと思います。しかし少なくとも、上から目線でサービスなんてできるわけがありません。当たり前のことなんです」

ベルサービスやコンシェルジュデスクを始めたのも、同病院が日本で初めてです。

病院内のサービス施設には、お酒を飲めるスペースもあります。

院内にあるバーカウンター

「『病院だからお酒を飲んではいけない』と言いますが、亡くなることが分かっている人にも同じことが言えるでしょうか。例えば、ワインの好きな方が乳がんになったとします。でも元気なら、少しくらいお酒を飲もうと関係ありません。大好きなお酒を飲んで、美容室に行ってお化粧して、元気になってもらった方がはるかにいいと思いませんか」

亀田院長自らが誘致し、店内をデザインしたという、表参道に本店がある「pas de deux La Plage(パドドゥ ラ・プラージュ)」という理/美容室や、房総の旬の素材を使用した和食とイタリアン、サーロインステーキなど鉄板焼きが楽しめる「レストラン亀楽亭」、鴨川で一番美味しいと評判の手作りベーカリー「mikomiko」、そしておなじみ「タリーズ」や「青山フラワーマーケット」などを施設内にオープンさせました。

「病院だからこそ『もっとこだわれ』と思うんです。『病院だからこの程度でいいんだ』なんて完全に間違っています。残された時間が少ない人もいれば、囚われの身の人もいます。病院だからこそ、『何かできることはないか』と、いつも探すことが大切です。患者さまのできることは、制限が多いからこそ、こだわらなきゃいけないんです。これって、当たり前のことだと思いませんか。当たり前のことを当たり前にしてこなかったのが、病院なんです」

美容院パドドゥ・ラ・プラージュ
レストラン亀楽亭からもオーシャンビューが楽しめる
見た目もオシャレなデリが揃う

鴨川から東京を救う

同病院のKタワー建設から、約11年経ちました。

「亀田クリニックを建ててから21年経ってます。あっという間でした。21年前によく作ったなと思います」

亀田院長は笑います。

亀田クリニックは、独立型の外来専用施設です。総床面積約2万2千平方m、診察室約100室という大規模な外来専用施設に充実した専門スタッフや診療設備を用意することにより、今まで入院を必要としていた医療を、外来で行なえるという大きなメリットを生み出しています。

「この鴨川で、医者や看護師を集めて病院を経営していくには、オンリーワンをやるしかないんです。ナンバーワンは、比較する指標によって変わってしまうから分かりづらいですが、オンリーワンは他にどこもやってないことだから分かりやすいですよね。オンリーワンを作り続けるしか鴨川でこの病院を維持する方法はありませんでした」

亀田院長は現在、約20年後の完成を目指して、鴨川に17階建て470戸のCCRCを作る計画を進めています。CCRCとは、Continuing Care Retirement Communityと言って、高齢者が健康なうちに入居し、終身で過ごすことが可能な生活共同体です。「アクティブシニアタウン」と言い換えることもできるこの集合住宅の考え方は、1970年代のアメリカで始まりました。

「しかし、『リタイアメントコミュニティ』にしてはダメです。同じCCRCでも、『リスターティングコミュニティ』にするつもりです」

80歳で元気な人たちが年金に頼らずに、生き甲斐やプライドを持って、お金を稼いで生きて行く社会を作るために、「雇用関係のない有償労働のプラットホームを作りたい」と話します。

「シルバー人材センターって名前が悪いと思いませんか。当院にも庭を整備してくれたり、患者さま向けの図書館を開設したりしてくれるボランティアさんがいますが、その活動をどうやって有償化するのか。誰がお金を払うのか。その仕組みと、シルバー人材センターに代わる名前を考えているところです」

グリーフケア的な観点からも、高齢者の活動の有償化は有意義だと話します。

「日本の問題は、老老介護です。介護していた相手を亡くして、引きこもりや独居になってしまう人がこれから確実に増えます。その後、カルチャースクールなどでもいいので、グリーフケア的な概念で場を作るとか、活動を有償化して、いきがいに変えていくとか、複合的にその人に合ったケアを提供できるような社会システムを作っていかなければいけないと考えています。日本は『老人だから無償ボランティアでいいでしょ』と簡単に言われがちです。でも有償になるだけで、ものすごくモチベーションが上がるものです」

亀田院長は、これまで約25年間、鴨川だけでなく、南房総、そして東京や日本全体のことを考えてきました。

「東京が潰れれば日本は潰れます。鴨川なんて小さなところで考えていてはダメです。まずは親亀をコケさせないために、東京を救える田舎を作ってしまおうと考えました。上海の発展を助けたのは浦東新区(ほとうしんく)です。浦東新区に初めてクワが入ったのは1992年。今から約24年前です。南房総なら、東京にとっての浦東新区になれると思うんです」

亀田院長は、中国の上海浦東国際空港のように、南房総に空港の建設も視野に入れています。

「空港を作るなんて壮大でしょ。だけど、できるんですよ」

亀田院長は現在60歳。ここで紹介したのは、亀田院長の取り組みのほんの一部です。

20年後の日本はどうなっているでしょうか。

これまでも、周囲から理解が得られないような斬新なことを次々に実現させてきた亀田院長なら、20年後、ほとんどの取り組みを実現させて、今日のように笑っているような気がしました。

関連サイト


旦木瑞穂(たんぎ みずほ)
1975年愛知県出身。
産経デジタル「New Roses Web」にてグルメ・イベントレポートや、鎌倉新書「月刊 仏事」で葬儀や介護に関する記事などを連載。
各種パンフレット、ガイドブックなどの企画編集のほか、グラフィックデザイン、イラスト制作も行なう。

Twitter:@mimizupon

[旦木瑞穂]