第37回:死後ケアを強化するFacebook――SNSに残る故人との向き合い方を考える

[2019/5/28 00:00]

故人のFacebookページを保つための機能「追悼アカウント」が4月から強化されました。

同時に追悼アカウントにしていない故人のページをAIで探しだして保護する仕組みも追加しています。これでFacebookは、複数の死後のかたちに対応するようになったわけです。細分化した死後のインターネットの世界を改めて考えてみましょう。

Facebookが追悼するための専用ページを新設

何年も前に亡くなった人のSNSページを目にしたことがある人は、いまでは少なくないと思います。この連載でたびたび言及しているとおり、SNSページを含むインターネット上の所有物は持ち主の生死と自動では連動しません。生前から綿密に準備しているなら別ですが、基本的には死後も当分の間は残ります。

そうした死後のSNSページについて、Facebookは2019年4月に新たに2つのケア機能を追加しました。

ひとつは追悼アカウントの「トリビュート(賛辞)」タブです。

追悼アカウントは2009年10月に実装が始まった故人のページを保護する機能で、家族や友人によるリクエストページから申請で適用されます。追悼アカウント化すると第三者によるログインが不可能となり、「知り合いかも」などの項目にリストアップされなくなります。

追悼アカウントのリクエストページ。故人のページと死亡日、死亡を証明する書類(死亡記事や死亡診断書など)データ、申請者の連絡先メールアドレスを入力すれば申請できる。その後、運営側の査定のうえで追悼アカウントに切り替わる流れとなる。

2015年2月には「追悼アカウント管理人」という、追悼アカウントを管理する人を生前に指名できる機能が追加され、死後も管理人の手によって友達を追加したりトップ画面を新調したりできるようにもなりました。追悼アカウントの抹消を申請するページも用意されているので、遺族の判断で「一周忌を過ぎたら閉じる」といった運用も可能です。

追悼アカウント管理人の登録は、アカウントの「設定」メニューにある「アカウントの所有者とコントロール」項目から行える。相手の承認のもと、一人だけ指定できる仕組みだ。

トリビュートタブは、さらに追悼アカウントを生前と死後にタブで切り分けます。故人が生前に投稿していた内容は「タイムライン」タブにまとめられ、死後の訃報や葬儀情報、追悼コメントなどはトリビュートタブに追加していくことになります。

追悼アカウント管理人が指定されている場合、管理人はトリビュートタブ上の投稿は削除したりタグ付けしたり自由にできます。ただし、タイムラインタブの投稿を個別に削除することは、これまで通りできません。

これまでは、結果的に生前最後の更新となってしまった投稿が追悼の拠点となることが多かったですが、トリビュートタブが浸透すれば、「ご冥福をお祈りします」や「R.I.P.」、それに墓前で故人に語りかけるようなコメントはそちらにまとめられるようになります。元の投稿の雰囲気を壊す心配も不要になるので、哀悼や追憶がより伝えやすくなるかもしれません。

Facebookの追悼アカウントページ(左)と、トリビュートタブ(右)のサンプル。トリビュートタブはタイムラインタブと切り替えて表示する

2019年4月9日以降に追悼アカウントとなったページは管理人の有無に関わらず自動でトリビュートタブが追加されますが、それ以前からの追悼アカウントに実装する方法は今後明らかにされる見込みです。

追悼アカウント化しなくてもAIで故人のページを判断

もうひとつの機能が、AIを使った故人のアカウントの自動判定です。

持ち主が亡くなっていながら追悼アカウント化していないページをAIによって判別し、その人の誕生日や関連するイベントの告知を友人たちに表示しないようにするそうです。

Facebookに確認したところ、明確な実装時期は不明ながら「今後随時実装されます」とのこと。精度や措置の柔軟性は運用しながら高めていくことになるので、実効性を得る時期は少し長い目でみるのがよいでしょう。

しかしそれ以上に重要なのは、Facebookが追悼アカウントにする以外の死後対応の道筋を用意したことだと思います。

AIツールの実装について、同社は「利用者の皆様からは、追悼プロフィールへの移行に対する心理的な苦痛は大きく、誰もがすぐに移行できるとは限らないというフィードバックをいただいています」という理由を挙げています(プレスリリースより)。

プレスリリース「Facebookにおける故人を偲ぶ機能の改善について」にあるAIツール言及箇所。英語版リリースは2019年4月9日に、日本語版は4月18日にアップされた。

文章からは、Facebookの利用者の死後、追悼アカウント化するまでの状態をケアする“つなぎ”の機能というニュアンスが読み取れます。が、実際には「あえて追悼アカウントにしない」というスタンスで遺族等が何年も管理し続けているケースも少なからずあります。

追悼アカウントにすると、ダイレクトメッセージや「自分だけに表示」設定にした投稿は管理人であっても閲覧できなくなります。また、個別の投稿を非表示にしたり、過去の投稿を編集したりもできなくなります。何らかの理由でそうした制約を受けたくないと考える遺族(等)が故人になりすましてログインすることを選んでいるわけです。

Facebook側もそうした、いわば利用規約を違反した使い方をしているアカウントがあることを認識しています。認識していながら、それらもまとめてケアするAIツールを提供するところは興味深くもあります。

Twitterの「おすすめユーザー」は生死の区別をしない

少なくとも、Facebookは死後のアカウントを分け隔てなく保護してくれて、個別でケアをお願いしたり、残された側の判断で後日抹消したりもできる、ということがいえます。

それは見方を変えれば、「亡くなった人のページは自動で認識され、存命の人のページと自動で区別される空間」と見なすこともできるでしょう。

一方でTwitterは、「おすすめユーザー」の項目に本人認証がとれた故人のアカウントが表示されることがしばしばあります。発信者が生きていても亡くなっていても、コンスタントに更新されていても長らく止まっていても無関係のようです。「発信者の生死が区別されない空間」の典型例といえるかもしれません。

インターネットに残された投稿それ自体を独立したコンテンツとみなせば、閲覧可能な状態で残っているなら「生きているコンテンツ」といえますし、アカウントや投稿を発信者本人の一部とみなせば「亡くなったコンテンツ」といえます。どちらのスタンスに重きを置くかは、それぞれのSNSの設計思想によることになるのでしょう。

いまあるSNSが50年、100年と続き、現在のスタンスのままで法やビジネスの課題もクリアしていったとしたら、故人のアカウントは生者をしのぐボリュームになっていそうです。そのとき、今に生きるヒントを得るために、故人のアカウントをフォローして投稿に接するという行為が普通になっているかもしれません。書店や図書館に立ち寄って、明治時代の文豪や識者の文庫を手にするのと似ている気もします。

いずれにしろ現実問題として、亡くなった人のSNSページは基本的に当分残ることになります。そのなかで故人のページとどう向き合えばいいのか。それぞれのサービスが提供する選択肢を利用しつつ、残された人たちでより都合のいい道筋を探るのがよさそうです。運営側も手探りの最中なので、柔軟に最適解が追求できそうです。


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古田雄介(ふるた ゆうすけ)
1977年生まれのフリー記者。建設業界と葬祭業界を経て、2002年から現職。インターネットと人の死の向き合い方を考えるライフワークを続けている。著書に『故人サイト』(社会評論社)『ここが知りたい! デジタル遺品』(技術評論社)など。2019年3月に、コラム集『死とインターネット』をKindleで発行した。

[古田雄介]