第46回:弁護士が感じた、デジタル遺産の法整備の穴

[2020/2/28 00:00]

2020年2月、弁護士によるデジタル遺品(デジタル遺産)に関する初の書籍『デジタル遺産の法律実務Q&A』(日本加除出版)が刊行されました。

法律のプロからは、デジタル遺産にかかる現在の日本の状況はどのように映っているのでしょうか。著者の北川祥一弁護士に伺いました。

北川綜合法律事務所 代表弁護士 北川祥一氏

相続の現場はまだデジタル遺産前夜

『デジタル遺産の法律実務Q&A』では、オフラインとオンラインに残された故人のデータやアカウントの法的な取り扱いについて46個のQ&Aを掲載しています。

故人のメールを相続人が確認する可否や、暗号資産(仮想通貨)の相続性といった消費者側の疑問だけでなく、利用規約で相続を否定する際のポイントなど、サービス事業者側に立った項目も揃えていて、死後のデジタル資産の取り扱いについてさまざまな視点で読み解けます。

それゆえに、書籍の冒頭近くにある「デジタルデータの相続について明示的かつ統一的に定める法律は見当たらないのが現状です」(8P)という言葉は深く響きました。

『デジタル遺産の法律実務Q&A』 日本加除出版刊

相続の現場でも、現状はデジタル遺産の対処法に直面する機会はまだ少ない様子です。

「実務で遺産分割協議書をまとめることもありますが、デジタル遺産に関して明示的に記載した事例は少なくとも私の経験上はまだないですね。『その他一切の財産は〇〇が相続する』等の包括的な条項はあり、それの射程にデジタルデータも含まれるとはいえそうですが、周囲からもデジタル遺産の明示記載の話をまだ聞いたことはありません。

今後問題になりそうだという意識自体は広まっていると思います。ただ、具体的な対応策の確立には至っていない印象です」(北川さん、以下同)

2015年に厚生労働省が発表した第22回生命表(完全生命表)を見ると、死亡年齢のピークは男性で87歳、女性で92歳となっています。80代以上の人のインターネット利用率が2割前後で推移する現状を考えると、実際の相続の現場にデジタル遺産が頻出するのは確かにもう少し先のことになるかもしれません。

2010年から2018年までの年代別通信利用動向の推移。80代以上は極端に下がる 出典:総務省「通信利用動向調査」

デジタルデータに対する権利には不明確な部分がある

では、現状においてデジタル遺産に対する日本の法律は何が不足しているのでしょうか。

北川さんは、デジタル遺産について明示的・統一的な法律がないこともそうですが、他にはデジタルデータに対する権利が不明確な点も挙げられるのではと指摘します。

「民法上の所有権の客体となる『物』について有体性を要件とする見解からは、デジタルデータなどの無体物については民法上の所有権が観念できず、著作権のような知的財産権の対象となるデータ以外のデジタル遺産についての権利には不明確性が残っています。デジタル遺産の1つである暗号資産の法的性質についても現在統一的見解はないといえます。」

上記の見解からは、パソコンやスマホのような有体物は民法上所有権の客体となる「物」として、持ち主に所有権が認められる一方、デジタルデータは有体物ではないので、「無体物」として、所有権の対象外になります。

有体物ならその所有権を相続するといえ、また、デジタル写真やイラスト、創作性のあるテキストデータなど著作権等の知的財産権の対象となるデジタル遺産はその権利を相続するといえますが、それ以外のデジタル遺産に対する権利の性質は不明確です。事実上包括的に相続の対象となるとしても、デジタル遺産を含めたデジタルデータに対する権利の明確化が望ましいとはいえそうです。

海外に目を向けると、従来の資産とデジタル資産を同じように扱うことを定めた相続法があるスイスや、没後のデジタルデータの規定も設けた「個人データ保護法」を稼働させているエストニアなどの事例があります。ただ、デジタル遺産に関しては明確な枠組みがないケースはいまだ多く、国際的にみてもこれからの課題といえるかもしれません。

オンラインサービスの利用規約は可変の空気

デジタル遺産が喫緊の課題になりにくい現状では、特効薬となる新法や法改正を期待するのは難しいかもしれません。ただ、オンラインのデジタル遺産をめぐる規約等については民間主導で整備が進む可能性があるといいます。

「近時はオンラインサービスの利用規約を巡った訴訟が国内でも発生しています。これまでは一般ユーザーに不利な規約についてもあまり紛争として顕出されていかったと思いますが、消費者団体訴訟制度の利用等もあり、不合理な規約・契約に関する問題が顕出し始めているようです。今後は、デジタル遺産の財産的価値が上がることで、一般ユーザー等も問題として取り上げる、訴訟等で争うインセンティブが生まれそうです。」

たとえば2020年2月には、あるソーシャルゲームサービスの利用規約にある「当社は一切損害を賠償しません」という文言について、消費者契約法違反だとの判決がさいたま地裁で出ています。

そうした動きが、相続に関わる利用規約の変化を促進する可能性があります。

「ポイント、閲覧数の多いWEBサイトやSNSアカウント、あるいは多数の登録者数のある動画サイトのアカウントなどのデジタル遺産の財産的価値が上がってくると、『一身専属的契約だから相続できません』という規約では納得できないという声が出やすくなるでしょう。訴訟してでも規約等の有効性を争いたいというインセンティブが生じるわけです。それらの状況が変化をもたらす可能性はあると思います」

それでも、非公開メッセージをやりとりするSNSなどは相手方のプライバシー等の問題もあり、単純には相続を可能とする規約が増えるとは限らないでしょう。そうしたバッティング要素のないサービスなら、消費者の声に後押しされて相続に関する規約が整備されていく期待が持てそうです。

本人は備えを、遺族は財産調査を

現状を踏まえ、最後に消費者として今すぐできる有効なデジタル遺産対策をアドバイスしてもらいました。

「本書を執筆するにあたって総合的に法的分析を行いましたが、現時点での結論としては、やはり有効なのは本人による事前の対策になると思います。日頃から、残したいデジタル遺産と残したくないデジタル遺産に分けて、残したくないものは自ら予め処理するように備えるのが賢明でしょう。残したいものに関しては、メモなどアナログな方法での相続人への伝達も有効と思います。

遺族としては、何よりまずはデジタル遺産の内容を知ることが重要です。パソコンやスマートフォンを開くことができない場合でも、銀行口座やクレジットカードの履歴、あるいは確定申告の書類などお金の流れを辿ると、対処すべきデジタル遺産が見えてくる可能性があります」

『デジタル遺産の法律実務Q&A』の執筆時は、類書はもちろん、関連する学術論文、判例なども少なく、執筆に相当苦労したといいます。それもデジタル遺産がこれからの問題という現れといえるかもしれません。

「デジタル遺産の法解釈や実務もこれから蓄積していくのではないかと思います。きっかけ次第では数年で様相が変わる可能性もあるのではないでしょうか」

これからも、デジタル遺品に関する有用な書籍に注目していきたいと思います。


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古田雄介(ふるた ゆうすけ)
1977年生まれのフリー記者。建設業界と葬祭業界を経て、2002年から現職。インターネットと人の死の向き合い方を考えるライフワークを続けている。著書に『故人サイト』(社会評論社)、『ここが知りたい! デジタル遺品』(技術評論社)など。2020年1月に、『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)を刊行する。

[古田雄介]