第48回:故人アカウントの突然の復活は怪奇現象か追悼の新形態か

[2020/4/28 00:00]

SNSでは故人のページが数年後に突然復活するという不思議な現象がたまに起きます。

その背景には故人への思いが隠れていることも。最近は新型コロナウイルスの影響でオンライン葬儀などネットを使ったお別れの方法の模索が活発になっていますが、ひとつの例としてこの現象を掘り下げてみましょう。

故人のアカウントが凍結後に「復活」

2018年某月、関西で暮らす10代の女性が電車への飛び込み自殺の様子をライブ配信してこの世を去りました。

もとのライブ動画はすぐに公開停止となりましたが、SNSを通してコピー動画が瞬く間に拡散。そこから彼女が残したTwitterが特定されるのに時間はかかりませんでした。

残されたつぶやきからは家族や異性との感情のもつれや希死念慮などが覗えましたが、やがてこちらも凍結され、まもなく姿を消します。

しかし、彼女のTwitterのページは約1カ月後に突然復活しました。彼女のTwitter上のネームは「○○○ちゃん@+++000」(仮名、以下同)でしたが、復活時には「△△△@+++000」と冒頭の表記だけ変わっていて、ツイートは非公開設定になっていました。

そして、この「△△△@+++000」もやがて消滅。少し間をおいて2020年の春、今度は「◇◇◇@+++000」と名前を変え、全公開設定でつぶやくようになりました。

つぶやきには希死念慮がみとめられるものもあり、"○○○ちゃん"さんを彷彿とさせるところもありますが、事故の報道から彼女が亡くなっていることは確実です。別の誰かによるつぶやき、少なくとも投稿行為とみて間違いないでしょう。

アカウントは無理でも、表示名は受け継げることも

亡くなったユーザーのアカウントが消滅したと思ったら、後日アイコンもつぶやく内容もすっかり様変わりしたページになっていたり。SNS引退を宣言した有名人のアカウントがしばらくしたら広告投稿ばかりするスパム系に変わっていたり。SNSではそうした不思議な現象がしばしば起こります。

それは各SNSのアカウント設計が関係しています。Twitterを例にとると、アカウントを登録したときには最大20桁近くの数字の羅列が「ユーザーID」として割り振られますが、あまり表に出ることはありません。

そのIDを取得したうえで、ユーザー自身が“○○○ちゃん"などの「名前」と、“+++000"といった@以下の「スクリーンネーム」を自由に設定する仕組みになっています。

Twitterで使われる3つの表示名。ユーザーIDは設定画面でも確認できない仕様になっている

ページのURLにはスクリーンネームを利用するので(例:https://twitter.com/+++000)、別の誰かが使用中の文字列は使用できません。

ただし、誰かが過去に使っていた文字列は再利用できます。元のスクリーンネームの持ち主がアカウントを削除した場合は復活の猶予期間のために30日間はロックされますが、それ以降はやはり自由に使えるようになります。

つまり、Twitterの場合、何らかの理由で抹消されたアカウントのスクリーンネームは一定期間後に誰でも再利用できるのです。この仕組みを理解していれば、遺族等によって抹消された故人のスクリーンネーム(とURL)を"受け継ぐ"のは容易です。

「スクリーンネームは形見のようなもの」

現在"+++000"を使っている◇◇◇さんに経緯を伺ったところ、"○○○ちゃん"さんのスクリーンネームはまさにこのケースでした。

"○○○ちゃん"さんはInstagramのユーザーネーム(=IDであり、スクリーンネーム)にも"+++000"を使っていて、◇◇◇さんは当時からフォローしていたそうです。そこからTwitterページにも気づいてフォローするのは自然なことでした。2つのSNSを通して、彼女の写真やつぶやきを追いかけていたといいます。そうしてあのライブ配信がありました――。

Instagramはユーザーネームを自由に変更できるが、抹消時のユーザーネームは再利用不可となる

すぐに彼女のInstagramとTwitterは凍結され、前述のようにTwiiterページのほうはアカウント自体が消滅しました。それは彼女のTwitter上の痕跡の消滅とともに、彼女が使っていたスクリーンネームが宙に浮いたことを意味します。

「彼女が亡くなってから定期的に使えるか試していて、つい最近使えるようになったので使うようになりました。彼女のことを皆も自分もだんだん忘れていっているような気がして。このスクリーンネームを使っていれば、まず自分は彼女のことを忘れることはありません。形見のようなものだと思っています」(◇◇◇さん)

スクリーンネームを形見と捉えるスタンスはネット界隈全体で合意形成を得ているわけではないので、不気味な現象と捉えられたり、原理を知っている人から「死者の乗っ取り」と非難されたりすることもあります。◇◇◇さんの元にもそうした声は届いています。

「多くの人が不快に思ったり、直接的な関わりがあった方から『やめてほしい』『スクリーンネームがほしい』と言われたりした場合には、理由次第では譲る考えもあります。ですが、できればずっと使いたいなと思っています」(同)

人は数文字のデータで追悼できる

スクリーンネームの形見化。それは一般的な話ではありませんし、是非も別れるところでしょう。ただ少なくとも、スクリーンネームを故人の痕跡だと「実感できる」人がいるのは確かです。

形見とは故人や別離した人が残していったものを指します。所持していた人の思い入れなり人格なりを色濃く残した、愛用の文具や装飾品、長年綴ってきた日記帳などが典型例かもしれません。

長らく本音を広げる場として使われたSNSページは、よく書き込まれた日記帳に近い存在といえます。すると、そのSNSのスクリーンネームはさしずめ日記帳の表紙カバーでしょうか。

日記本体が消失したあとも表紙カバーの再利用が可能で、それがかつて故人のものだったと知っている人が手にしたとしたら、故人の形見を得たと考えるのもそこまで荒唐無稽とはいえないでしょう。

形見になり得る、故人を偲ぶ依り代になり得るモノは、必ずしも物体である必要はありません。実際、生前のまま保持されている故人のSNSページやブログなどが何年も友人知人の追悼の拠点になっている例はいくらでもあります。

良い悪いではなく、SNSサービス内で付与されたわずかな文字列が特別な感情を喚起させる力を持ちうるというのは、なかなかに興味深いことではないでしょうか。


古田雄介(ふるた ゆうすけ)
1977年生まれのフリー記者。建設業界と葬祭業界を経て、2002年から現職。インターネットと人の死の向き合い方を考えるライフワークを続けている。著書に『故人サイト』(社会評論社)、『ここが知りたい! デジタル遺品』(技術評論社)など。2020年1月に、『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)を刊行した。

[古田雄介]