第59回:10年前の投稿は過去の存在か今の存在か――東日本大震災10年に際して

[2021/3/11 00:00]

東日本大震災から10年経った現在も、当時のままで止まったブログやSNSページはいくつもあります。はたしてそれは「過去」の存在なのでしょうか。

それとも、2021年3月に息づく「今(いま)」の存在なのでしょうか。

10年前の言葉で止まったままの「ネット遺構」

2011年2月に犬を飼い始めた男性のブログは2011年3月10日から更新が途絶えました。最後の日記のコメント欄は震災直後から安否を気遣う言葉があふれ、やがて哀悼に変わり、いまも不定期で亡き人を偲ぶ書き込みがなされています。

南三陸町の女性職員が休職中に始めたブログは職場に復帰した後もマイペースで更新されていました。最終更新は2011年3月9日。震災時、職務中に亡くなったことはたびたび報道されました。最後の日記には、やはりいまも墓前に呼びかけるようなコメントが書き込まれています。

また、震災後にパソコンごとパスワードを消失したことで、3月11日午前の投稿以降は手が出せなくなった町の広報ブログもそのまま残っています。当日14時以降にパタリと投稿を止めて、いまも安否がわからないTwitterのアカウントも複数あります。

これらのページは当時の空気を今に伝えます。いわば存在自体が遺構になっているといえるでしょう。

しかし、更新が止まったページはどんどん埋もれていきますし、ブログやSNSの撤退によって消滅するリスクも高まります。実際、「Yahoo!ジオシティーズ」や「Yahoo!ブログ」「@niftyホームページ」「前略プロフィール」などは数多のユーザーページもろともここ10年間で姿を消しました。

過去を伝えるWebページが過去のものとなって失われていく――。その流れを食い止める手立てはないのでしょうか。

震災時のつぶやきに息吹を与える『東日本大震災ツイートマッピング』

ヒントとなるのが、2021年1月に公開された『東日本大震災ツイートマッピング』です。

震災から24時間以内に投稿されたジオタグつきツイートからBOTやリプライなどを省いたものをマッピングしたサイトで、東京大大学院 渡邊英徳研究室が開発しました。

ツイート総数は5,765件となります(2021年3月日時点)。

『東日本大震災ツイートマッピング』
ズームしていくと、個々のつぶやきが読めるようになる

当時のTwitter利用動向から都心のツイートが多くなっていますが、被害が甚大だった三陸地方や西日本のつぶやきも追えます。

「革靴で25km歩くとかムーリー」「こんな真っ暗な仙台始めてみたよ」「やばい。帰れない。母は避難したのか?」などなど・・・。

文字が読める縮尺までズームして地図を縦横にスクロールしていくと、あのときの人々の心の声がよみがえります。

“過去の存在"を素材とし、“今の存在"として再構築して世に伝える。その典型的な取り組みといえるでしょう。

注目したいのは、再構築するにあたって個々のプライバシーに細部まで配慮しているところです。

マッピングされたつぶやきは位置情報をランダムでズラしてあり、発言者の精密な特定ができないようにしてあります。

また、サイトにアクセスすると地球全体から日本、日本から地域へとズームしていくデザインになっていますが、これも「個々の内容に注意を引きつけすぎないようにする」(渡邊英徳教授)意図からです。

他者による情報の再構築には、元の情報への配慮と尊重が欠かせない、ということを教えてくれます。

アップデートと増強で“今の存在"となった『忘れない』

サイトを“今の存在"として存続させる備えも豊富です。

マップはオープンソースのデジタルアースライブラリ(Cesium:セシウム)を採用していますが、これは企業の方針転換にサービスの命運が握られる「ベンダーロックイン」を避けるため。

Webページのソースコードを公開しているのも、運営に支障が生じた際に外部に託せる道筋を確保する意図があります。

渡邊教授は「現状の仕様で10年間は残したいと考えています。今後も時代の趨勢にあわせて、プラットフォームはフレキシブルに移行していくつもりです」と語ります。

そのコンセプトは、同研究室が岩手日報社と共同制作して2021年3月に公開したサイト『忘れない 震災遺族10年の軌跡』でも通底しています。

元となったサイトは、震災から5年後の2016年3月に公開した『忘れない~震災犠牲者の行動記録』です。

地震発生から津波襲来時までの岩手県内の震災犠牲者1,326人の避難行動をマッピングしたもので、地図をズームすると犠牲者ひとり一人のポイントが移動する様が見られます。

岩手日報社がそれぞれの遺族に丁寧に趣旨説明をしたうえで公開許諾を得た労作です。

その行動記録をアップデートしたうえで、被災者が10年間歩んできた生活再建の歩みを転居回数や住居種別で可視化した「生活再建マップ」と、震災遺族へのインタビューを機械学習で分析した「言語分析」ページを新たに加えました。

『忘れない 震災遺族10年の軌跡』の「生活再建マップ」
アップデートされた「震災犠牲者の行動記録」ページ

渡邊教授は“今の存在"であり続けるサイトを、現役で使われる建築物に喩えます。

「建物は住み手や使い手のニーズ、時代の移り変わり、あるいは経年劣化などにあわせて、こまめにアップデートしたりリニューアルしたりする必要があります。Webコンテンツも同じことです。私もこれまでに関わったデジタルアーカイブは常に手を入れ続けています」

過去のサイトが完全消滅する前にできること

発信者の元を離れた過去の情報を他者がよみがえらせるには、技術だけでなく相応の気遣いや労力が必要になりますし、再生したあとに現役の状態を保つには長期的にアップデートが施せる体制も欠かせません。

なかなか簡単にできることではなさそうです。

残したい故人のサイトがあったとき、正式に管理を引き継ぐにはサービス提供元の手順に従って契約者の死亡と申請者の続柄を証明する必要があります。骨が折れますし、そもそも承継を認めていないサービスでは誰であっても管理が引き継げません。

残された人たちが故人のIDやパスワードでログインして訃報をアップしたりサイトを抹消したりする行為は、悪質なものでないかぎり黙認されているのが現状ですが、その手も故人のデジタル端末にアクセスできないと難しいでしょう。

とはいえ、何事も完璧を求めすぎると現実味が薄まります。それらの方法がとれなくても、公開ページのデータをコピーしたり、アーカイブサイト(いわゆる魚拓サービス)でミラーページを作ったりする手はあります。

やれそうなことをとりあえずやってみる。そういうスタンスが肝要でしょう。

故人のサイトを大切に思うひとり一人ができる範囲の行動をとれば、少なくとも完全消滅は防げるはずです。そして、そうやって過去の存在に思いを巡らせること自体が“今の存在"にする根幹の力かもしれません。


記事に関連するWebサイト/関連記事


古田雄介(ふるた ゆうすけ)
1977年生まれのフリー記者。建設業界と葬祭業界を経て、2002年から現職。インターネットと人の死の向き合い方を考えるライフワークを続けている。著書に『故人サイト』(社会評論社)、『ここが知りたい! デジタル遺品』(技術評論社)など。2020年1月に、『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)を刊行した。

[古田雄介]