第2回:井上治代氏に訊く「桜葬」墓地の特徴
「死の受容」に効果的なスピリチュアルケア

[2018/5/15 00:00]


墓石を墓標とした伝統的なお墓が売れなくなったという石材業者の声が多く聞かれます。また、伝統的なお墓の改葬(遺骨を別の場所に移す)や墓じまい(墓を撤去・処分する)も増えています。

一方、同じお墓でも永代供養墓や樹木葬墓地などは売れています。樹木葬墓地を扱う石材店も増加してきています。

そこで、社会学者で樹木葬墓地研究の第一人者である井上治代氏にインタビューさせていただきました。

井上氏は、研究の成果を実践し、社会還元する場として「桜葬」墓地を核として展開しているNPO法人エンディングセンターの理事長でもあり、「桜葬」の特徴を中心にお話をうかがいました。

井上治代氏

一般の樹木葬墓地と「桜葬」墓地の違い

一般の樹木葬墓地と、エンディングセンターが企画してつくられた「桜葬」墓地との違い、「桜葬」墓地の特徴は何でしょうか。

樹木葬墓地というのは、1つは、伝統的なお墓のように墓石を墓標とはぜず、樹木を墓標とする自然志向のお墓です。もう1つは、樹木葬墓地の多くは継承制を取らず、跡継ぎを必要としないということです。

一般の樹木葬墓地は、お墓というハード面だけであるのに対し、「桜葬」墓地は人間が生きて桜葬に眠るまでを、精神的なことも含めてトータルにサポートするという、ソフト面も充実しているところが大きく違います。

現代で主流の核家族は、子供が巣立てば「夫婦だけ」になり、夫婦の一方が亡くなれば「独居」です。

これは何を意味するかと言いますと、もはや家族という集団が担ってきた家族機能が非常に弱まって、個を単位とした社会が到来し、家族機能に変わるサポートシステムが必要になったということです。

そのうえ、晩婚化、生涯未婚化、子供を持たないライフコースを歩む人々が増加し、家族の個人化が進んだ現代社会では、家族が担って当然とされてきた「介護」だけでなく、「看取り」や「死後の葬送」においても、その担い手を欠き、「無縁死」や「無縁墓」が問題視される家族機能の弱体化が露呈してきました。

エンディングセンターが最初につくった東京町田市の「En21」で、墓標のエドヒガン桜が立派に育つ

それでエンディングセンターを立ち上げることになるわけですね。

私は、1990年に『現代お墓事情―ゆれる家族の中で』(創元社)という本を出版しました。しかし、本の出版だけでは力不足と感じ、同年7月にエンディングセンターの前身である市民団体「21世紀の結縁(けつえん)と墓を考える会」を発足させました。

やがて会名を「21世紀の結縁と葬送を考える会」へと変更しました。それはとりもなおさず、社会の関心が墓から葬儀などを含む葬送全般に広がったことを意味しました。

「21世紀の結縁と葬送を考える会」は、市民にとって必要な、新しい形態の墓や葬送システムの展開を提言したり、実際につくるのを応援したり、紹介してきました。

ところが、設立10周年を経て、新たな課題に遭遇することになりました。会員の中から、「考えるだけでなく実行してほしい」、「自分たちの墓が欲しい」という要望が多くなったのです。

もともと会名にあった「結縁」という言葉は、21世紀の葬送には家族などの血縁ばかりでなく、家族も含んだ家族を代替えするネットワークを意味していました。

そこで2000年に、「21世紀の結縁と葬送を考える会」を発展的に解消し、熱き想いを抱いた仲間がさらに多く加わって「エンディングセンター」が誕生しました。

「桜葬」墓地のソフト面の特徴

そして、2005年には「桜葬」という都市型の樹木葬を企画、開発されると同時に、トータルでサポートするソフト面も充実されてきたわけですね。ソフトの代表的なものをお聞かせいただけますか。

エンディングセンターの「桜葬」を核とした活動は、単なるお墓というハードの提供ではなく、家族機能の弱まった現代社会の中で、家族も含むけれど、「血縁」を超えた「結縁」によるサポートネットワークを作っているところに、その特徴があります。

葬儀の担い手を親族で確保できない人々のために、自分の死後のことを第三者に委任する「生前契約」によって、「喪主の代行」をはじめとするエンディングサポート(葬儀や死後事務等)を行なっています。これまで家族が担ってきた役目の代替機能です。

また、家族だけでは介護や看取り、死後の葬送を担うことが難しい社会で、桜を墓標として集まった隣同士が、墓を核として縁を結ぶ。そこには家族を超えた絆=「墓友」が生まれています。この特徴を私は「ゆるやかな共同性」と言っています。

「墓友」活動としては、「終活講座」や「語りあいの会」、そして書道、俳句、ウォ―キング、ヨガ、アカペラ、ランチ会、小物作りの会など「自主サークル活動」もあり、生前の活動が重視されています。

毎年、桜の咲くころ会員みなで「桜葬メモリアル」(合同祭祀)を実施している

墓地のつくり方にも工夫を凝らしていらっしゃいますね。

はい。桜葬墓地は、桜の木の下に個別区画が隣接して一つの墓域を形成する集合墓という形をとっています。集合墓にした意味は、【1】継承を前提としない非継承墓に適合的な形態であること、【2】「ゆるやかな共同性」が生成しやすい形態であることがあげられます。

一区画ごとの外柵がなく個別区画が集合した大きな一つの墓域となるため、継承者がいない区画があっても、墓を皆で守っていくことができます。桜の咲くころ皆が集まって「桜葬メモリアル」(合同祭祀)を行なうので、身内がいなくても墓を同じくする仲間とともに供養されていきます。

家族も含み込みつつ、しかし家族という単位に縛らない。一本の桜の木の下に皆で眠り、皆が集う。そこに眠る人も、眠る人を偲んで訪れる人も、まさに「血縁」を超えた「結縁」のコミュニティが形成されています。

個別区画が隣接して1つのエリアを成す、東京町田市の集合墓「樹林墓地・風の旅人」

スピリチュアルペインとケア

今のソフト面のお話と重複する部分もあるのですが、私は、井上先生が講演などでおっしゃっている次のことが非常に興味深く、意義深いと感じています。それは、日本の伝統的な死生観にはスピリチュアルケアがあったが、それが希薄化してきた一方で、それに代わる「代替えシステム」が登場してきており、その一つが「桜葬」システムであるというご指摘です。まず、『スピリチュアルペイン』という言葉の意味からお願いします。

WHO(世界保健機構)は、従来の健康の定義である、肉体的健康、精神的健康、社会的健康の3つの要素に加え、1998年に「スピリチュアルな健康」という要素を加えることを提案しました。

それは、人間の尊厳の確保や生活の質を考えるために必要で、人間の本質的なものという観点からの提案でした。

緩和医療の分野で村田久行氏(NPO法人対人援助・スピリチュアルケア研究会理事長)は、末期がん患者の『スピリチュアルペイン』を「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」と定義し、スピリチュアルペインを人間存在の時間性、関係性、自律性と3つの次元から分析しました。

この3つを私なりに解釈しますと、人は亡くなると同時に過去が消え、将来も失います。そう考えると現在の生きる意味を見出せなくなり、こころが痛みます。これがスピリチュアルペインにおける時間性です。

また、人は亡くなると他者との関係性が断たれ、そのことによって自己の存在が喪失し、深いこころの痛みを感じます。これは関係性の喪失からくる痛みです。

さらに、寝たきりになったりして自分で何もできなくなると無価値観・依存・負担を感じ、自律性を喪失した状態になり、生きる意味を失います。

村田氏は、これらのスピリチュアルペインに対するケアとして、「死をも超えた時間性の回復」「死をも超えた関係性の回復」「自律性の回復」の三点をあげています。

伝統的な先祖祭祀のスピリチュアルケア

村田氏のいうスピリチュアルケアは、緩和医療における臨床からのアプローチですが、井上先生は、伝統的な葬送儀礼にもスピリチュアルケアを見出すことができるとおっしゃっていますね。それはどういうことでしょうか。

近年まで、日本人の多くは「死んだら家の先祖になって、代々の子孫によって祀(まつ)られていく」という死生観を持っていました。私は、ここにスピリチュアルケアという概念を当てはめてみました。

日本では死者へのケア全般をさす言葉として「葬祭」という語があります。「葬祭」は日本の死者ケアの特徴を表す言葉で、日本人の多くは、「葬」式という一過性の儀式では終わらず、その後に「祭」、すなわち死後何年も続く「死者を祀る」という行為(年忌)を行なっています。この考えは、一つには日本古来の民間信仰である「祖霊信仰」に由来していると言われています。

古来日本では、人が亡くなると、肉体から霊魂が遊離し(霊肉分離)、亡くなって間もない霊魂は荒ぶれており、不安定な霊魂であると考えられていました。それを子孫が何年にもわたって供養することによって、その霊が静まり、やがて子孫を加護するような祖霊に昇華していくと言われています。これを「死霊から祖霊化へのプロセス」といいます。それが現在にも残る回忌法要にみてとれます。

33回忌を過ぎると、死者の霊は「弔いあげ」といって、個としての祀りを打ち切られ「家のご先祖さま」という不特定多数の祖霊の域に入っていきます。

大阪府高槻市、神峯山の懐にある自然豊かな桜葬墓地

死後にもライフサイクルがある

死霊から祖霊化へのプロセスについて、もう少し詳しくご説明いただけますか。

オームス・ヘルマンは、『祖先崇拝のシンボリズム』(弘文堂、1987年)という本の中で、「死後のライフサイクル」という言葉を使っています。日本人は、死ぬとその時から死後の年が意識されている、と指摘しています。

人の生には、出生・成長・成熟・老衰・死亡などの生命現象に規定された規則的な推移、つまりライフサイクルがあります。日本人には、死後にもこの「ライフサイクル」があって、人は亡くなっても年をとりながら家族(子孫)と関わっていく「死後の生」が想定されています。そのサイクルが、「死霊から祖霊化へのプロセス」です。

日本人の多くは、死ぬと、子孫によって1周忌、3回忌、7回忌といった年忌(ねんき)が続けられてきました。私たちは死ぬと、その時から死後の歳が数えられ意識されます。まるで生前に、1歳、2歳と歳を数えるのと同じように、死後の生が想定されているのです。

そして、やがて生前の死亡と同様に、死後の生にも区切りがやってきます。それが「弔いあげ」で、個性を持った個人としての法要が打ち切られ、それ以降は不特定多数の「家のご先祖さま」としてまつられていきます。

「死んだら先祖になる」というのが、日本人の伝統的な死生観ですね。

私はそこにこそ、スピリチュアルケアが見て取れると思っています。つまり、日本人の死後には死を超えた生が想定され、まさしくそこに村田氏がおっしゃるスピリチュアルケアの構造がみてとれるのです。

死後に先祖になってその後の存在が意識されていくことは「死をも超えた時間性」にあたります。

また、死ぬと人間関係がそこで終了するのでなく、子孫から尊敬されつつ墓や仏壇という場で「家の先祖」として祀られ、関係は続いていく。しかも、線香はもちろんのこと毎日生きている人と同様にご飯や水等が供えられている。これは村田氏のいう「死後も続く関係性」にあたるといえるでしょう。

また、生者による家規範が働いているため、儀礼には死者自身は手こそ出せませんが、生者の「先祖を祀る」という行為を通して、死者が思っていたように自律的に遂行されていきます。

このように、先祖祭祀はスピリチュアルケアの要素を十分に含んでいたということができると思います。

薄れゆく伝統的な死生観

ところが、先祖祭祀というケアシステムが揺らいできたわけですね。

そうです。葬式では儀礼を行なわずに火葬だけで済ます「直葬」が増加したり、お墓でも跡継ぎを確保することが困難になって祭祀継承者が途絶えたりしています。それはとりもなおさず、これまでの日本社会にあった、人が死を受容するためのケアシステムが崩壊しつつあると言えるのではないでしょうか。

鶴岡賀雄氏(東京大学大学院教授・哲学者)は、かつては大きな力があった「死後」世界のイメージ、さらには「生死を超える」次元のリアリティが見失われていく時代が近代である、と言っています(死生学年報」2013年)。私も全く同感です。

しかし、社会変動とともに伝統的な死生観が希薄化する一方で、それに代わる「代替システム」が登場してきており、「桜葬」はそのひとつです。

スピリチュアルペインとは「自己の存在と生きる意味」が失われたときに感じる痛みで、スピリチュアルケアは「死をも超えた時間性の回復」「死をも超えた関係性の回復」「自律性の回復」にコミットメントすることでした。

「桜葬」には、これらのスピリチュアルケアが存在しているのです。

死をも超えた時間―「桜になる」、「自然に守られる」

時間性、関係性、自立性のそれぞれについて、具体例を挙げていただけますか。

死をも超えた時間性の例として、エンディングセンターで行なっている「語りあいの会」で聞いた70代の女性の声をご紹介します。

「お墓を買って、死後に自分が納まるところが決まるとホッとする。私が眠るところにはフジザクラがあるんです。死んだらフジザクラになってそこにいるんだと思うと、死の恐怖が少なくてすむのね。毎年毎年、春が来ると桜が咲いて、その桜になるんだわ、そう思うと素敵じゃない」。

このように「死んだら桜になる」ことを想定している人がいます。そのことによって死の恐怖を軽減できるというのです。これこそ「死をも超えた時間」の想定です。

家族が連続しない時代に、自然というものの中に包まれ、特に日本人であれば桜と共に生き、桜が見届けくれると感じることで、死を受容しやすくなるのではないでしょうか。

死んだら桜になって、毎年、桜の花が咲くころ咲き誇る、そう考えると死が怖くなくなるのです。ここにスピリチュアルケアが見てとれます。

死をも超えた関係―死後の近所付き合い

次のいくつかの言葉は、エンディングセンターが主催した会で話されたものです。

「ここに来ると、すごく安らぐんです。なんでかな、と考えるときがあるんですね。そうしたら、いろいろな楽しみの会に入っているけれど、唯一ここだけは、今という時間を超えて、もっともっと、ず~とこの人たちと一緒にいられるんだなと思ったときに、時の長さというか、いのちの永遠というか、魂がずっと残っていて、あの人達と一緒にあの丘に眠るんだなと思う気持ちがあるんです。とても安らぐものがあるんですね。深いものを感じます」。

「私たち死んでもあっちで、遊びましょうよ」「夜な夜なワインを飲みましょう」「死んでも一緒よね」「向こうでも近所付き合いしましょうよ」。

これらは「死をも超えた関係性」、「死をも超えた他者を見出している」ということです。この世からあの世を想像し、ワインを片手にお墓で楽しく話している光景を思い浮かべています。「死んでも近所どうし。死後も淋しくない。あちらに行って遊びましょうよ」などと考えることで死後が安心だというのです。

自立性の回復―「死後のしかけ」

私はかつて毎日新聞に「最期まで自分らしく」というタイトルで、コラムを連載したことがありました。もし私が、死期がわかるような病気になったら、私のごく身近な人たちの誕生日に、私の死後に花束が届くように仕掛けていきたい、と書いたのです。

それは私が、父・母・姉と、私が生まれ出たところの家族全員を亡くし、「一晩でもいいからもう一度だけ語り明かしたい」と思う時があるからです。もう二度と会えないと思っていた人から、それも誕生日という特別な日に、メッセージつきの花束が届いたら、どんなに嬉しいことでしょう。

そう書いたら、それを読んだ読者(女性、当時67歳)から、「実際に、50本の薔薇の花束が届いたんです」という手紙が来ました。

夫が末期がんで亡くなり、葬儀をして火葬場からまだ温かい遺骨を抱きかかえて家に帰った時、宅配便が届いた。見れば夫からの50本の薔薇の花束だった。「ありがとう」という言葉が添えられていたというのです。妻は泣き崩れたけれど、同時にこんなに嬉しいこともなかったのでないでしょうか。


すごく嬉しかったでしょうね。

私はこの話を、私の話とともに「死後のしかけ」といって終活講座でよく話しています。

それを聞いたエンディングセンターの会員Aさん(女性、59歳)は、「死後のしかけ」を実践して逝きました。Aさんは一人っ子で兄弟姉妹はなく、自身は未婚でご両親も既に他界されていました。そんなAさんがガンになり、余命が少ないことが告げられました。

彼女は本をプレゼントしたりすることが好きな人でした。そのAさんの仕掛けたことは、自分の死後、親友の孫に絵本を贈ることでした。生前にテレビ番組に出て「新しい世代に、ちっちゃなことでいいから、何かをちょっと残していく。何かを渡していくっていうことが、自分の命がどこかに繋がっていく。ひょっとしたら私がいなくなってもこれがその子に届いていくっていうふうになっていたら、とってもいいなって思います」と語っていました。

この例は、死をも超えた時間と関係性の回復であると同時に、自分ではできないけれども本屋さんに頼んで自律性を担保していたのです。

この「死後のしかけ」は、自分で仕掛けたセルフ・スピリチュアルケアです。私は、この死者本人では遂行できない「死後のしかけ」を、講演などを聞かれる皆さんに勧めると同時に、エンディングセンターの会員に対しても生前契約という形で実行するようにしています。

定期的に開催されている終活講座「さくら講座」で熱心に聞き入る人々

現代社会にあった死生観を紡ぎだそう

終活を推進している企業や団体は数多くありますが、スピリチュアルケアのような精神的なことに取り組んでいるところは、一部の寺院などのほかにはほとんどありません。井上先生がスピリチュアルケアを重視されるのはなぜですか。

終活の中で最も難しい課題は、「死の受容」だからです。特に一人称の死(自分の死)は、誰も経験した人がいないだけに、この未知の世界に畏怖の念を抱いている人は多いと思います。死に向かうための哲学および宗教観を持てるか否かは、自己の死の受容に大きな違いをもたらします。

終活の究極の目的は、死を受容し、死ぬその瞬間まで輝いて生きることだろうと私は考えています。

今回紹介した人たちは、不確かな時代に伝統を捨てて、新しいシステムを積極的に選びとったことに満足し、その共通点に信頼感を抱き、みな積極的に生きようとしていました。

このように現代の人々は、伝統的な死生観が揺らいだ時代に、現代社会にあった死生観を紡ぎ出しています。その一つが、セルフ・スピリチュアルケアにみることができます。皆さんも、仕掛けてみませんか。

本日は、貴重なお話をありがとうございました。


【井上治代氏のプロフィール】
社会学博士。東洋大学ライフデザイン学部教授を経て、同学部で「いのちの教育」「生死の社会学」「家族の社会学」「ジェンダー論」を教え、同大大学院でも教鞭を執っている。さらに研究成果の社会還元の場として、尊厳ある死と葬送の実現をめざした認定NPO法人エンディングセンターの理事長として、「桜葬」墓地を核としたコミュニティ活動を展開している。あわせて新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどで、執筆・評論も行なっている。また公的機関の諮問委員や、各地の公的機関の講演・講座講師を多数引き受けている。

葬送関係の自著に『現代お墓事情-揺れる家族の中で』『いま葬儀・お墓が変わる』『最期まで自分らしく』『墓をめぐる家族論』『新・遺言ノート』『墓と家族の変容』『子の世話にならずに死にたい』『より良く死ぬ日のために』ほか多数ある。

「桜葬」関連では、『桜葬 桜の下で眠りたい』、「集合墓を核にした結縁―「桜葬」の試み」『地域社会をつくる宗教』叢書 宗教とソーシャル・キャピタル 第2巻、"Death Dying, and Disposal in Contemporary Japan," It will be published by Routledge (UK ),「死生観なき時代の死の受容―スピリチュアルケアとしての先祖祭祀から自然・墓友へ―」『「終活」を考える―自分らしい生と死の探求』などがある。

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塚本 優(つかもと まさる)
葬送ジャーナリスト。1975年早稲田大学法学部卒業。時事通信社などを経て2007年、葬祭(葬儀、お墓、寺院など)を事業領域とした鎌倉新書に入社。葬祭事業者向け月刊誌の編集長を務める。また、新規事業開発室長として、介護、相続、葬儀など高齢者が直面する諸課題について、各種事業者や専門家との連携などを通じてトータルで解決していく終活団体を立ち上げる。2013年、フリーの葬送ジャーナリストとして独立。葬祭・終活・シニア関連などの専門情報紙を中心に寄稿し、活躍している。

[塚本優]