第9回:小谷みどり氏に訊く「没イチ」の生き方と終活
配偶者との死別は一人暮らしスタートを意味する時代

[2018/12/3 00:00]


第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員はこのほど、新刊書『没イチ~パートナーを亡くしてからの生き方~』(新潮社)を上梓されました。

「没イチ」とは、離婚経験者の「バツイチ」をもじった造語で、配偶者が没し、一人になったことを指しています。

同書では、小谷氏の実体験を含め配偶者を亡くしたシニアがどう立ち直り、新たな生活をスタートさせたかという事例や、「没イチ」になる前の心積りや準備をしておきたいこと、没イチになった後の生き方や終活について詳細に書かれています。

そこで、同書の中で私が特に興味深く感じたことを中心に、お話をうかがいました。

配偶者との死別後を元気なうちから考える

新刊ご著書「没イチ」は、出版社からのオファーによるものだそうですが、小谷さんとしてはどのような意図、目的で書かれたのでしょうか。

今の終活というのは、自分がどのように死を迎えるのかとか、死んだ後の葬儀やお墓をどうするのかなど、自分が死んだ時のことばかりに焦点が当たっています。

自分のことも大事ですが、自分が死んだ後に遺された人がどう生きていくのかという観点も、すごく大事なのではないかということを、この本で提起したいと思いました。

実は私自身がこの観点を見落としていました。7年前、夫を亡くしてはじめて、「配偶者と死別した人は、その後、一人でどう生きていくか」という大きな問題をないがしろにしていたことに気づいたのです。

小谷みどり氏

配偶者と死別した後が大きな問題というのは、どういうことでしょうか。

昔は一般的に、夫が亡くなると妻が元気になり、長生きすると言われていましたが、これからはそうでもないのです。

というのは、昔は3世代同居でした。しかも、男性の死亡年齢は、18年前の2000年のデータでも80歳以上の人は3分の1しかおらず、3分の2の男性は80歳までに死んでいました。

ということは、妻はまだ60~70代ですし、3世代同居ですから、子供や孫と一緒に暮らしているわけです。

ですから、夫が亡くなっても、妻はピンピン元気なのは当たり前なのです。

これからはそうでもないというのは、一つは、夫も長生きするようになってきているので、夫を亡くする頃には、妻も高齢になり弱っているということです。

また、夫婦2人世帯が圧倒的に多くなってきますので、配偶者との死別は、イコール一人暮らしのスタートを意味するようになっているということです。

そのため、配偶者を亡くすということの遺された人へ与えるインパクトは、これまでとは全然違います。

ですから、配偶者と死別して遺された後、一人でどう生きていくのかということを元気なうちから考えておきましょう、というのがこの本のテーマです。

「死の受容」とはどういう状態をいうのか

以下では、ご著書を拝読させていただいて、私が特に興味深く感じたことについて質問させていただきます。

第一章では、ご主人を亡くされた時からの経緯や、小谷さんが感じられたことを率直に書かれていらっしゃいます。その中で私が特に興味深かったのは、「実際に夫と死別してみて、遺された人は死を受容すべき、という意見には反対です。いつか受容するだろうし、受容できなくてもいいのではないかとすら私は思っています」とおっしゃっていることです。

私は今でも、夫は長期出張しているだけという感覚を持っています。

大切な人を亡くした時の「悲嘆のプロセス」などの理論によれば、私はまだ悲嘆のプロセスの途上にあり、心の底から死を受容していないということになります。

しかし、私は夫がかわいそうでならず、その涙は出るものの、私自身が悲嘆にくれているわけではありません。

だから、悲しみを乗り越えるという言葉も、私には当てはまる気がしません。「生きていれば人生には楽しいことがたくさんあるのに、夫がかわいそう」「夫の死を無駄にしない」という気力だけが、私を突き動かしているのではないかと自分で思っています。

ですから、私には「死の受容」とはどういう状態をいうのか分かりませんし、死を受容する必要性もよく分からないのです。

大切な人を亡くされても、「死んだ気がしない」という人たちはたくさんいますものね。

そうなのです。私のように、どこか遠くへ出張していると思っていて、何か問題があるのでしょうか。

遺された人が、「そのうち、私もそっちへ行きますからね」と、遺影に話しかけたりすることがありますが、死後の世界へ行っていると思えれば死を受容しており、遠い国へ出張していると思っているのは死を受容していないことになるというのは、少し違うのではないかと思うのです。

会えないと分かっていることに変わりがないし、いつか会えるという希望を持っている点でも同じだと思います。

2倍人生を楽しむ使命を帯びた「没イチ会」

第二章では、小谷さんが講師をされている立教セカンドステージ大学の受講生と一緒に2015年に結成された「没イチ」会の趣旨や、「没イチ」会のメンバーがどう立ち直り、新たな生活をスタートさせたかについて事例を紹介されています。

「没イチ」会をつくられた趣旨をお聞かせください。

死別の悲しみや辛さを同じ死別体験者で分かち合いをする遺族会などの会合は、全国にたくさんありますが、その段階から脱した人たちが情報交換できる場はありません。

現代では初老とも言える50~60代前半ぐらいだと、同世代の人たちの多くは既婚者でしょうし、配偶者がいないお一人さまは未婚か、離婚経験者である可能性が高く、境遇が違います。

そこで、「没イチ」に限定した会をつくりました。

没イチ会では、「死んだ配偶者の分も、2倍人生を楽しむ使命を帯びた人の会」というテーマを掲げました。没イチは「人生を楽しんでいい」のではなく、「もう人生を楽しむことができない配偶者の分も人生を謳歌してあげよう」という発想です。

とはいえ、何かテーマを設けて皆で話をするといった固い会ではなく、単なる飲み会です。前向きな没イチたちでお酒や食事を共にしましょうという趣旨なので、自分の身の上話をしたい人はすればいいし、話したくない人は聞き役に徹すればいいという会にしています。

没イチ会で話題になるのは、どのようなことですか。

たいがいが他愛もない話ですが、「再婚したいか」「特定の相手が欲しいか」「配偶者の遺品はいつ処分したか」「今でも、配偶者の親族と付き合っているか」など、同じ境遇の人たち同士だからできる話題も多いです。

「死んだ配偶者は夢に出るか」といった話題でも盛り上がりますし、「仏壇に毎日ご飯を供えるのが大変だけど、皆はどうしているのか」といった情報交換もします。

いずれも、没イチになって一番悲しい時期には、考えもしなかった話題ばかりだろうと思います。

没イチ会で新しいことを行なっていこうという計画などはあるのですか。

没イチ会の男性6人をモデルにして、12月9日にファッションショーを都内で行なう予定です。

妻に先立たれて引きこもっている世の中の男性はいっぱいいるので、ファッションコーディーネーターにカジュアルファッションを見立ててもらってイメージチェンジしたら、気分が変わって外に出てみたくなりませんか、という提案です。

ただ行なうだけでは意味がないので、マスコミを通じて、お茶の間の皆さんにそういうメッセージをお届けしようという企画です。

面白い試みですね。考えてみますと、今まではグリーフやグリーフケアばかりで、そういう明るく前向きなものはほとんどありませんでしたね。

そうなのです。大切な人が亡くなって「悲しいでしょう」、「悲しいでしょう」としか言わないと、余計に引きこもってしまうと思うのです。

でも、ショーは全部私の自腹で行なうので、そんなに大きなことはできませんが……。

急増する“死後離婚"

第三章は、小谷さんのご体験も含めて、「没イチを生きる知恵」について書いていらっしゃいます。

その中で、私が特に興味深かったのは、配偶者が亡くなった後、いわゆる「死後離婚」が増えているということと、その理由です。

配偶者が亡くなった後に、「婚姻関係終了届」を出す人が年々増加しています。2007年には1,832件だった届け出が、2016年には4,032件もありました。

「婚姻関係終了届」は、配偶者側の親族との関係を解消するという意志表示の届けです。

これを「死後離婚」と呼んでいるようですが、正確には「離婚」ではなく、配偶者との関係にも実子との親子関係も影響はありません。

日本では、役所に婚姻届を提出すると、配偶者との婚姻関係だけでなく、配偶者の両親や兄弟姉妹など姻族との関係も結ばれます。

婚姻関係が破綻して役所に離婚届を出すと、婚姻関係の終了と同時に、配偶者の親族との婚姻関係も終了します。

ところが、配偶者が亡くなった場合は事情が異なります。配偶者の死亡届を役所に提出すると、婚姻関係は終了するのですが、配偶者の親族との婚姻関係はそのまま継続されるのです。

そうしたこともあり、三世代同居が一般的な時代は、夫が亡くなった時に夫の両親がまだ健在であれば、夫の妻はそのまま義理の両親の世話をするのが当たり前とされていましたね。

そうであったのが、婚姻関係終了届を出す人が急増してきているのは、核家族化が進んでいることが挙げられます。

一緒に住んでいなければ、配偶者の両親を家族だとは思いにくいこともあって、配偶者が亡くなった後に、舅や姑、兄弟姉妹とは付き合いたくないとアクションを起こす人が増えているのではないでしょうか。

しかし、姻族関係終了届で姻族関係を終了したとしても、戸籍には何も反映されませんし、苗字も、配偶者が亡くなる前の状態のままです。

結婚前の戸籍や姓に戻したい場合には、姻族終了届ではなく、「復氏届」を提出しなければなりません。

復氏届の件数は、年間2,000件あたりで横ばいで推移しており、2016年の場合には、復氏届よりも姻族関係終了届を出した人の方がずっと多いことになります。

子供がいる場合に復氏するのは手続きがややこしいこともあり、よほどの理由がない限り、苗字を戻そうと考える人はそんなに多くはないのかもしれません。

配偶者との死別は、女性より男性の方が影響を受ける

第四章では、「没イチ」になる前の心積りや準備しておきたいことについて書いていらっしゃいます。

その中で、特に興味深かったのは、配偶者との死別は、女性より男性の方が影響を受けやすいことが明らかになっていることです。

アメリカのロチェスター工科大学では、1910年から1930年生まれの既婚者を分析し、配偶者との死別が寿命に与える影響を研究しています。

2012年に発表された研究結果によると、妻を亡くした男性の余命は、同年齢の男性の平均余命よりも短くなる可能性が30%も高かったのに対し、夫を亡くした女性にはこうした傾向は見られなかったそうです。

ちょっと衝撃的なデータですね。死別体験による影響が、男女でなぜこれほどまでの差があるのでしょうか。

一つは、配偶者に先立たれた後、自活できるかどうか、すなわち、身の回りのことや家事が自分でできるかどうかという問題です。

1990年代半ばには専業主婦世帯より共働き世帯の方が多くなりましたが、共働き世帯でも家事は妻任せという家庭は多くなっています。

2016年の総務省「社会生活基本調査」によれば、共働き家庭が1日平均で家事関連に費やす時間は、妻は4.54時間なのに対し、夫は0.46時間でした。

一方、専業主婦家庭では、妻が7.56時間、夫は0.50時間なので、妻の家事時間は、共働きだと専業主婦より少ないものの、男性は、妻が働いていようが専業主婦であろうが、ほとんど家事をしていないことが分かります。

とはいえ、「ふだん、自分が家事をしていないだけで、やろうと思えばできる」と多くの男性は思うかもしれません。しかし、今まで家事をほとんどやってこなかった人が、ある日突然「やろう」と思って、本当にできるでしょうか。

死別体験の影響が男女で大きな差があるのは、ほかにどのような要因があるのでしょうか。

人との付き合い方です。

没イチで一人暮らしの60代、70代を対象に2016年に私が行なった調査結果によれば、別居家族と週1回以上は会話しているのは、女性は50.8%と過半数を超えていたのに対し、男性では27.0%しかいませんでした。

「1か月に1回」「ほとんど話をしない」を合わせると、男性の4割以上が普段、別居家族と会話していないことが明らかになっています。

また、近所の人と挨拶程度の会話や世間話をする頻度をたずねた質問では、「ほとんど話をしない」人は、女性は10.0%であるのに対し、男性では24.4%もいました。つまり4人に1人の没イチ男性は、近所の人と挨拶すらしないのです。

友人も、男性は女性に比べて少ないですよね。

諸外国に比べて、日本の高齢者は男女を問わず友人が少ない傾向が指摘されていますが、特に男性が少なくなっています。

2016年に60歳から79歳までの没イチ男女を対象に私が行なった調査では、困ったことがあれば相談しあえる「同性」の友人がいる人は、女性は54.8%と半数を超えていたのに対し、男性は25.2%と4人に1人しかいませんでした。

そんなに深い関係でなくても、例えば、一緒にお茶や食事を楽しむ程度の友人の場合は、女性は75.8%もいましたが、男性では40.8%と半数を下回っていました。

没イチ男性では、お茶を一緒に飲んだり、趣味を一緒に楽しんだりする友人はおろか、困ったことを相談しあえたり、自分のことを理解してくれる男友達はあまりいない状況です。

「異性」の友人がいる人は、男性は女性より多くなっていますが、そもそも同性にせよ異性にせよ、友人がいない男性が多いことには変わりありません。

配偶者だけが頼りという生活は危険

「没イチ」になると、特に男性は、「自活できない」、「友人がいない」などから路頭に迷ってしまう恐れがある人が多いわけですね。

そうです。とはいえ、女性もこれからは安心していられません。共働き世帯が増え、定年退職まで働き続ける女性がどんどん増えているからです。

長年、日中は働いていたので、住んでいる地域に特に親しい友人はおらず、退職後は夫と二人で何をしようかと考えるという、男性と同じ課題に向き合わなければならない女性が増えてきているのです。

最後に、そういう人達にアドバイスをお願いいたします。

配偶者に先立たれる悲しみや孤独、衝撃は防ぎようがありませんが、没イチになった後の生活をどうするか、どう孤独を防ぐかという対策は、いつから始めても早すぎることはありません。

配偶者だけが頼りという生活は、配偶者に先立たれるというリスクを考えると、危険と言えます。

普段から自立した生活力を身につけ、人間関係のネットワークをたくさんもっておくことが、没イチになった後のリスクヘッジとなります。

この記事を読まれた皆さんも、是非、今からできることをはじめていただきたいと思います。

没イチになった後の生活や終活をどのようにしたら良いのかについても、本の中に詳しく書いていらっしゃいますので、この記事の読者の方々も、是非手に取ってご一読いただければと思います。

今日は、小谷さんのご体験も踏まえた貴重なお話をありがとうございました。



【小谷みどり氏のプロフィール】

第一生命経済研究所主席研究員。博士(人間科学)。専門は死生学、生活設計論、余暇論。奈良女子大学非常勤講師、立教セカンドステージ大学非常勤講師、東京大学大学院医学系研究科客員研究員、身延山大学客員教授、武蔵野大学客員教授、日本ホスピス緩和ケア研究振興財団事業委員。

1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了後、ライフデザイン研究所(現・第一生命経済研究所)入社。

大学、自治体などの講座で「終活」に関する講演を多数行なう。著書に『だれが墓を守るのか』(岩波ブックレット)、『こんな風に逝きたい』(講談社)、『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)などがある。

自身も7年前に夫を突然死で亡くす。立教セカンドステージ大学講座「最後まで自分らしく」を持ったことがきっかけで、配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。

2019年より「シニア生活文化研究所」を開設予定。


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塚本 優(つかもと まさる)
葬送ジャーナリスト。1975年早稲田大学法学部卒業。時事通信社などを経て2007年、葬祭(葬儀、お墓、寺院など)を事業領域とした鎌倉新書に入社。葬祭事業者向け月刊誌の編集長を務める。また、新規事業開発室長として、介護、相続、葬儀など高齢者が直面する諸課題について、各種事業者や専門家との連携などを通じてトータルで解決していく終活団体を立ち上げる。2013年、フリーの葬送ジャーナリストとして独立。葬祭・終活・シニア関連などの専門情報紙を中心に寄稿し、活躍している。

[塚本優]