第55回:スマホの「メディカルID」や「緊急時情報」は救急時にどれだけ使われているのか
ロックがかかったままのスマホでも、119番や110番などに緊急通報をかけることができます。
それに加えて、持ち主の血液型や持病、使用中の薬、臓器移植の意思などを記載した画面(緊急時ページ)も表示できます。
iPhoneなら「メディカルID」、Androidなら「緊急時情報」画面と呼ばれているこの機能。活用されるシーンを想像すると、救急車で駆けつけた救急隊員の人がチェックする様子が浮かんできます。
では、実際の救急搬送の現場ではどれくらい使われているのでしょうか。
活用事例も検討機会も皆無
国内の消防活動を統括する総務省消防庁や、全国でもっとも救急出動件数の多い東京都全体の消防本部となる東京消防庁、その他主要都市を中心に15の消防本部に実態を尋ねたところ、スマホの緊急時ページが現場で生かされた事例は確認することができませんでした。
管轄下の消防署などから活用について意見が届いたり市民の声などから検討会を実施したりした事例も、取材した限りはゼロでした。すると当然ながら、緊急時ページを活用するためのマニュアルが作られたケースもありません。
スマホを提供する側として、通信キャリアにも緊急時ページの活用法について自治体や民間団体などから問い合わせや勉強会の要請が届いた件数を尋ねましたが、そうした声は少なくとも国内ではまだないようです。
OSを開発したアップルとGoogleにも同様の質問を送りましたが、期限までに回答は得られませんでした。
つまるところ、組織的に緊急時ページを活用する動きはいまのところ皆無といえそうです。
なぜ使われないのか。取材時に得た複数の談話を総合すると、主に2つの理由があるようです。
理由その1…緊急時ページの利用率の少なさ
まず緊急時ページの利用率の少なさが挙げられます。
救急車で搬送される人を年代別でみると、年々高齢者の方の割合が増していることが分かります。2019年は全国で約600万人が搬送されましたが、そのうち6割が65歳以上でした。
スマホの利用率は全世代で高まっていますが、60代以上の方はまだ折りたたみ携帯電話が優勢で、80歳以上では6割の方が携帯電話自体を所持していません。
とりわけ緊急連絡を必要とする層ほどスマホを持っている割合が少ないという、利用者層のズレがあるわけです。
加えて、スマホを持つ人のなかでも緊急時ページの利用率が十分に高まっていないことも考えられます。利用率を示す統計データは得られませんでしたが、取材を通して緊急時ページという機能自体を知らなかったという声を何度も耳にしました。
また、筆者が実施しているデジタル終活セミナーでも、緊急時ページの存在を初めて知ったという方が多勢を占めています。iPhoneとAndroidともに標準搭載機能となって久しいですが、写真アプリや地図アプリなどとは利用率に雲泥の差があるように感じます。
理由その2…記載された情報の信頼性
もうひとつが、「緊急時ページに書かれた情報を本当に参考にしていいのか」という問題です。たとえ本人が緊急時ページをしっかり書き込んでいたとしても、服用している薬や持病などの情報をどれだけ信頼してよいのか――。この問題は、緊急時ページの有用性を理解したうえで実用に至っていないという消防本部からよく聞きました。
そのうちのひとつが和歌山県の田辺市消防本部です。同本部は救急搬送時に必要な情報を記載する「救急医療情報キット」も無料配布しており、冷蔵庫で保管することを推奨しています。全国的に見てもとりわけ、緊急時情報の備えを推進している本部といえるでしょう。
救急医療情報キットはいわば緊急時ページの紙版といえるものですが、こちらのキットの実用件数も「まだゼロに近い」と言います。
「用紙を印刷したものも配布しており、よく持ち帰っていただいております。ただ、しっかりと記載されて保管したものを定期的に更新するとなると、なかなかハードルが高い部分もあります。また、書かれた情報が最新のものであるかという信頼性の問題があり、救急搬送時はやはり慎重にならざるをえないところもあります」
救急医療情報シートには記入日の欄や、「以上、わたしの医療情報等の内容に、間違いありません。できる範囲で、救急搬送や救急処置の参考にしていただくことに同意します。」との文言に署名捺印する欄も用意されていますが、記載は本人に委ねられます。
緊急時情報を伝える仕組みが準備されたうえでも、現場で活用するとなると難しい側面もあるということでしょう。
また、個人情報の取り扱いという側面に課題を感じるとの意見も複数聞きました。名古屋市消防局は「(緊急時ページの情報は)個人情報であるため、私ども救急隊が活用させていただくに当たっては、ご本人の同意が得られたという前提が条件となります。そのような前提があれば有効となる可能性はあると思います」と言います。
この視点はスマホの提供側からも挙げています。ある通信キャリアは「緊急時ページは本当にデリケートなんですよね。緊急時に有用ではあるのですが、重要な個人情報をロックの外に置くことになります。だから、ショップの勉強会などで我々が推奨するのは難しいところがあります」と打ち明けていました。
活用するなら身内に協力を求めるのが現実的
以上を踏まえると、緊急時ページの現実的な利用法が見えてきます。
家族や同居人がいる人は、いざというときに見てもらうために緊急ページのアクセス方法を共有しておくのが重要といえそうです。
本人と意思疎通がとれなくなったとき、救急隊員や医療スタッフが本人の代理人として情報を求める人に正しい緊急情報を伝える仕組みを自ら作っておくということです。
社会が用意したセーフティネットに任せきるには、スマホの緊急時ページはまだまだニッチすぎる存在ですし、個人情報の取り扱いという観点からも参考にしづらい面があります。
「公」ではなく「私」のセーフティネットの質を高める方向で利用するほうが良いでしょう。
家族や同居人がいない場合は、信頼できる近所の知人や大家さん、あるいは職場の仲間などに協力を求めるのも手かもしれません。
ただし、命に関わる判断や個人情報や開示などの重い判断まで背負わせるのは酷です。家族と同等の責任を求めるのは現実では難しいことを理解したうえで、頼める範囲を把握する必要がありそうです。
緊急時ページ機能はそうした周囲との連携も含めて計画して利用するのが良さそうです。iPhoneなら「ヘルスケア」アプリの「メディカルID」項目を選べば編集画面に進めます。Androidは機種ごとに項目名が若干変わりますが、ユーザーアカウントの設定画面から「緊急時情報」などの項目をタップすれば編集できます。
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古田雄介(ふるた ゆうすけ)
1977年生まれのフリー記者。建設業界と葬祭業界を経て、2002年から現職。インターネットと人の死の向き合い方を考えるライフワークを続けている。著書に『故人サイト』(社会評論社)、『ここが知りたい! デジタル遺品』(技術評論社)など。2020年1月に、『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)を刊行した。