第17回:清水祐孝氏に訊く終活ビジネスの課題と展望
お金にならないことでもやりきる覚悟がないと成功しない

[2019/8/1 00:00]


株式会社鎌倉新書(東京都中央区)は、葬儀・お墓・仏壇などの供養分野を事業領域とし、葬儀会社、墓石店などの事業者と消費者をマッチングさせるポータルサイトを主力サービスとしている会社です。

2015年には東京証券取引所マザーズ市場に上場、その2年後の2017年には同取引所第一部への上場を果たすなど、目覚ましい成長を続けています。

今後は、供養分野にとどまらず、高齢者の困り事の解決をサポートする会社への発展を目指しており、そうした意味でも終活ビジネスのリーディングカンパニーの1社です。

そこで、同社のオーナーで代表取締役社長兼会長CEOの清水祐孝(しみず ひろたか)氏に、終活ビジネスの課題と展望についてお訊きしました。

清水祐孝氏

「プロダクツありき」ではなく「ニーズありき」でなければならない

供養業界あるいはその周辺業界も含めた終活業界の問題・課題点として、感じていらっしゃることをお聞かせください。

供養業界も、終活業界も同じだろうと思いますが、プロダクツありきなってしまっています。

例えば葬儀会社さんだったら、終活セミナーを開催してお客さんに来てもらい、帰りには「うちの会員になってください」と勧める。いわゆる事前にお客さんの囲い込みをしたいわけですが、そうしているのも売りたいお葬式ありきだからです。

保険会社さんだったら、相続セミナーを行ない、「相続は一人3,000万円プラス相続人一人当たり600万円が非課税ですよ」といった一般論を話し、後半は自分達が売りたい保険商品の話をしています。

士業にしろ、銀行にしろ、皆さん同じで、売りたいものありきで、お客さんに対しています。

一方、お客さんの終活に対する関心は、売りたい人たちが売りたいものではない可能性も高いわけです。

この人に保険を売っても仕方がないのではないかとか、葬儀の会員になってもらっても意味がないのではないかとかですね。

ですから、ユーザーが求めていることありきでなければならないし、ユーザーが求めているものに応じて適切な手立てを講じるサポートをしてあげる必要があるのです。

適切な士業をお客さんのところにお連れするとか、適切な保険会社、不動産会社、葬儀会社などをご紹介するとかいった具合にです。

終活にはそういう役割が必要だと思いますし、当社はそういう役割を担える会社を目指しています。

ポータルサイトの「カスタマーセンター」の様子

終活の範囲は広く、かつ、終活に対するニーズは個々人によって異なりますから、余計にお客さんのニーズありきでなければならないということですね。

そうです。終活ニーズは個別ですし、しかも、終活をしようと考えていらっしゃる人たちのニーズというのは、一つの手立てやサービスで終わりではなく、複数の手立てやサービスを必要とし、求める人が多いと思うのです。

そうすると、やはりプロダクツありきの進め方では駄目です。

例えば、葬儀では、「松、竹、梅があって、価格はこうですよ」というようなプロダクツありきの進め方をするものだから、ユーザーは、葬儀に対して自分はどのようなニーズがあるのかをかえりみる時間をとれず、結果として、葬儀に価値を見出すことができないために、「家族葬でいい」、「直葬でもいい」という方向に行ってしまっていることも多いと思うのです。

これは、業界にとってロスだけではなく、ユーザーにとっても、もしかしたらお金に代えられないような良い体験の可能性があったにも関わらず、それが満たされなかったという意味で損失です。

プロダクツありきの現状には、そういうことがものすごくあるのではないかと感じています。ですから、ユーザーのニーズありきでなければ駄目だと思うのです。

「いい生前契約」サービスリリース記念の「おひとりさま座談会」の様子

先ほどおっしゃられた、ユーザーが求めているものに応じて提供していこうということでは、今までも、企業や団体などが終活のワンストップ対応などとうたい、相談窓口となって行なってきています。しかし、ビジネスにできているかという視点から見ると、成功しているところはほとんどありません。清水社長は、終活がビジネスとして成功するためのポイントは何だとお考えですか。

当社もそれなりにチャレンジはしていますが、成功しているわけでありませんので偉そうなことは言えません。

ただ、それなりにチャレンジしていて感じるのは、終活ビジネスで成功するためには、「命をかけてやらないといけない」ということと、「採算を取りにいくとうまくはいかず、長期スパンで考えなければならない」ということです。

「命をかけてやらないといけない」というのは、突っ走ったところで、うまくいく保障はないわけですから、実行するには相当の覚悟がいるという意味です。

「採算を取りにいくとうまくいかない」というのは、お客さんの終活に対するニーズをお聞きしたら、お金にはならないこともたくさん混ざっています。

しかし、手間ばかりかかって全然お金にならないことでも、それをやりきる覚悟がないと成功しないと思うのです。

これは儲かるからやるけれども、これは儲からないからやらないと言ったら、お客さんはやはり、がっかりするでしょう。

それで短期的にはうまくいったとしても、長期的にみれば、がっかりさせる会社が社会から共感を得られるわけがありません。

民間企業というのは本来、営利を求めて、売上、利益を出し、法人税を納めて雇用を増やすということが目的です。終活ビジネスというのは、そういう目的からいったん目をそらして考えないと、なかなか難しいと思いますね。

いくつかのリゾート地にある霊園を見学する「リゾート葬見学バスツアー」の様子

終活ビジネスは、長期スパンで収支を考える必要があるけれども、それは民間企業では難しいということですね。

そうです。例えば、大企業だと、「赤字なのにいつまでやっているのだ」と言われたりしますから、長期スパンではなかなか考えられません。

当社でも、私がオーナーなので、私が「やろう」と言ったらできなくはないですが、一方で、上場しているわけですから、投資家もいらっしゃるので難しいのです。

でも、手がないわけではないなという気もしています。

例えば、上場前のベンチャー企業は、投資家から数十億円のお金を出資してもらい、赤字でもいいから5年間は突っ走るということをやっています。

そういった方法で行なえば、できなくはないかもしれません。でも、10年くらいの長期スパンで考えなければならないので、ハードルは高いですよね。

現地ではなく部屋にてVRでお墓を立体的に見学できる「お墓VR体験」の様子

葬儀は、故人が先生、遺された関係者は生徒という最後の授業である

先ほど、葬儀は、「お金に代えられないような良い体験になる可能性がある」とおっしゃいましたが、具体的にはどういうことでしょうか。

葬儀では、本人が亡くなってそこにはいないのに、弔辞を述べます。特に芸能人の告別式などではそうですが、その弔辞は誰に向かって発せられているのかということを、改めて考えてみました。

1つは、肉体は死を迎えても、霊魂は存在し続けていると思えば、メッセージは伝わるものと信じられるから発しているのだろうということです。

2つ目は、ご遺族や参列者に対して、メッセージを投げかけていると考えられます。

もう1つは、自分自身へのこれからの人生に対するメッセージです。

このように理解すると、本人がいないのに、なぜ私たちは葬儀を行なうのかというと、故人を送るだけではなく、ご遺族や参列者が亡くなった人の死を見て、日頃は考えもしない死のことを思い、自らの人生を見つめ直し、残りの人生をどう生きるかなどを考える良い機会だからということではないかと思うのです。

そうすると、葬儀というのは、故人と縁があった人たちが故人から学ぶ場であり、故人は先生、遺された関係者は生徒という構図の最後の授業ということになります。私は、葬儀というのはそこに大きな意義があると考えています。

故人は先生なのだから、亡くなった人は私人であっても、亡くなった瞬間に公共財になるのだと思うのです。公共財だったら、公共財らしく扱わなければなりません。

そういう意味でも、私は、葬儀を行なわない直葬はもちろん、呼ぶ人を限定してしまう家族葬にも疑問を持っています。

お葬式というのは、依然、宗教儀式中心に行われているものが多くなっていますが、その点はどのようにお考えですか。

私は宗教家ではありませんので宗教のことは語れませんが、故人を送る宗教儀式にも意味があるのでしょう。

しかし、宗教儀式中心のお葬式を勧めても、うちは宗教にはあまり関係ないから宗教儀式はいらないとか、宗教儀式には価値を感じないことから、直葬を選ぶ人も増えてきているのが現実です。

そうなってきているのは、よく言われる宗教心が薄れたからとか、お寺に行く人が少なくなってきたからではありません。世帯人員の減少や少子化、社会構造の変化などによって、生活の中から宗教的な体験がどんどん失われていることから起こっていることです。

昔は、例えば、田舎の米農家に生まれた人は、地元の高校を出て、そのまま米農家に就職して、ズーッとその田舎で暮らし、結婚しました。

結婚しても、親の家の近くに住み、親戚も近くに住んでおり、お寺の檀家でもありましたし、村や町の人たちとも親しく交流していました。

そういう時代では、宗教的儀式中心の葬儀であっても、別に違和感はなかったわけです。

ところが、戦後は社会構造が大きく変わってきましたね。

一次産業の時代から、高度経済成長を経て産業構造が変わり、二次産業から三次産業中心の時代へと変貌しました。

そうなると、田舎で生まれて高校までは田舎にいても、大学は東京に行き、就職も東京や大阪などの会社にする。

それが、例えば鉄鋼会社だったら、北九州や釜石に転勤したり、海外に行ったりして、日本に45歳くらいで戻ってきて、子供が小学校高学年になったら、都内に家を建てたりします。

つまり、現代の人は、居場所を変えながら人生を送るわけです。

そのように居場所を変えると、家族はついてきてくれるでしょうけれど、親戚はついてきてくれるわけではないし、町内会やお坊さんはついてくるはずもありません。

そうすると、そういう人たちが亡くなってお葬式をしましょうとなった時には、家族中心のものになったって何の違和感もないわけです。

そこに、宗教的な儀式をはめ込もうとすると、違和感を覚える人が増えてくるのは当たり前のことです。

ですから、宗教的儀式としての葬儀から、先ほど言ったような、故人を教師として、故人と生前に関係があった人たちがめいめいに学ぶ場、といったようにお葬式の定義を変えていった方が良いと思うのです。

お葬式の際のお寺に対するお布施についても持論をお持ちでしたね。

お葬式の時、お寺の檀家になっていない家族が、お経を読んでもらったり、戒名をつけて欲しい場合には、葬儀会社などがお坊さんを紹介してくれます。

その場合に、お坊さんへのお礼としてのお布施と、檀家のお礼としてのお布施とでは、内容が違うにもかかわらず、それを供給側が区別して伝えないために、ユーザーからみると分かりにくく、お布施に対して違和感を覚える人が増えてきているという問題があります。

お葬式の際のお布施は、檀家にとっては、仮に30万円のお布施を包んだとしますと、その内訳は次の3つからなります。

分かりやすくするために、30万円を3等分するとしますと、1つは、これまで、故人や家族が檀家としてお世話になってきたことに対するお礼としての10万円。

2つ目は、お通夜、葬儀・告別式における読経や、戒名をつけていただいたことに対するお礼としての10万円。

そして3つ目は、家族に新たに仏様が一つ増えましたので、供養を末長くよろしくお願いしますというお願いとしての10万円です。

このように、お葬式の際のお布施は、檀家にとっては、お葬式での役務に対するお礼だけではなく、過去、および未来も含めたお礼やお願いのための支出をするタイミングになっているのです。

これに対し、檀家になっていない家族がお坊さんを紹介してもらった場合のお布施の内訳は違うわけですね。

はい。1つ目の過去における付き合いはないわけですから、それに対する対価は支払う必要がありません。また、3つ目についても、将来においても檀家になる意思がない場合は、支払いは不要です。

つまり、檀家になっていない家族にとってのお布施とは、2つ目の、読経と戒名に対するお礼だけなのです。

ですから、お葬式におけるお布施の額は、檀家の家族の場合と、葬儀のためにお坊さんを紹介してもらった家族の場合とでは、自ずと異なったものにならなくてはなりません。

そのことを、供給側がユーザーに伝えずに、「お布施はお気持ちでいいのです」としか言わなかったり、葬儀会社が「お布施の目安は30万円です」と言ったら、違和感を覚えるユーザーが増えてくるのは当たり前だと思います。

こうした違いをユーザーにはっきり伝えると、「檀家を辞めたい」という家族が増えることが予想されますので、言いにくいことではあるでしょう。

しかし、そういうことをオブラートに包みながらやっていくのは、もはや限界にきていると思うのです。

ですから、お葬式の定義にしろ、お布施などの慣習の問題にしろ、供給者サイドは供給者サイドなりに、議論する場を設けて検討した方が良いと思います。

自分の受け止め方や対処の仕方が一番重要

別の質問をさせていただきます。供養業界では、上場を目指すところは結構ありますが、実際に上場できたところはあまりありません。そうした中で、東証一部上場まで果たすことができた経営者となった要因は、清水社長ご自身としては何だと思われますか。

ゴルフのスコアに例えると分かりやすいので、その話をします。

ゴルフのスコアというのは何によって構成されるかと言いますと、1つは、そもそもの才能や本人の努力によって獲得された技量です。

2つ目は、その時々の運・不運です。例えば、日頃から練習をたくさんすれば、ティーショットをまっすぐ飛ばす確率を上げることはできます。

しかし、ボールを大きく左右に曲げてしまった時に、林の奥深くの木の根元にボールが落ちるか、あるいは木に当たってフェアウェイまで出てくるかは誰もコントロールできません。パットを打った時も、最後のひと転がりでホールに入る時もあれば、カップの淵で止まってしまう時もあります。

これらは、その時々の運・不運によるもので、運が良い時もあれば、悪い時もあるわけです。

そして3つ目は、私はこれが一番重要なことだと考えているのですが、この運・不運に対する自らの受け止め方や対処法です。

ボールがラフなどに入ってしいまい、「クソー」とか言ってクラブを地面に叩きつけたりする人もいますが、そういうことをしてもスコアが良くなるわけではありません。

そんな時は、「こういう時もあるよ。でも、次は良いことがありますように」と願って、無理のない打ち方をしたほうが、結果的にはスコアが良くなることが多いのです。

マージャンも同じです。クソーと思ってやっていると、出血が余計に大きくなってしまうのがオチです。

ですから、3番目の、自分がどう受けとめて、どう対処するのかが一番重要だと考えており、人生がうまくいく、いかないも、これと同じではないかと思っています。

つまり、2番目の運・不運はどうしようもないけれど、3番目は自分の努力次第で何とかできるということですね。

そういうことです。もちろん私も、一番目の努力はそれなりにしてきたつもりですが、経営者の仲間を見ていても、私よりよっぽど働き、よっぽど努力している人はいます。

それでも、うまくいかなくて厳しい状況に置かれている人はいますので、やはり運・不運の存在は認めざるを得ません。

3番目については、言い方を変えますと、人間、生きていれば嫌なことはありますし、嫌なことを言う人もいます。

それに対して、腹を立てる自分がいるわけですが、良く考えてみると、嫌なことを言ってくるから腹を立てるのではなくて、嫌なことを言ってきた後に自分の受け止め方があって、腹を立てるわけです。

ということは、嫌なことをいう人は変えることはできないけれども、受け止め方を変えれば、そんなに腹を立てないでも済む可能性があるわけです。

偉そうなことを言っていますが、私もできてはいません。できてはいませんが、できるだけ意識して実行するようにはしています。

2番目の運を良くするということでは、何かされていらっしゃらないのですか。

稲盛和夫さんやイチローさんなど、成功した人たちが言ったり、書いたりしていることはよく似ています。「正しく生きなさい」とか、「神仏を敬いなさい」だとか、「親を大切しなさい」といったことです。

それらを実行することによって、運が良くなると科学的に証明されているわけではありませんが、大きな出金があるわけではありませんので、そうしたことには素直に従ってみようとはしています。

そうすると、なるほどと思うことがあります。

例えば、私は、極力毎日、近くの神社に参拝しに行くようにしています。最初の頃は、向こう側にいる神様に向かって、「会社がつぶれませんように」とか、「上場できますように」などとお願いごとをしていました。

でも、良く考えてみたら、向こう側に神様がいるわけではなくて、神様は自分の脳みその中にいるのだと思うようになりました。

お祈りをすると、メッセージが脳みその中にインプットされ、自分は忘れても脳みそはコンピューターのハードディスクのように、そのことを覚えていて、ズーッと動きながら願いを叶えるために必要な情報を無意識のうちに集めてくる。そして、無意識のうちに行動に走らせることにより、結果的にうまくいくようなのです。

このように、成功した人たちが言っていることに素直に従うことにより、2番目の運を良くすることもできるのだと思うようになりました。

本日は、終活ビジネスの成功条件、供養業界の課題点、上場を果たすことができた経営者のあり方、と主に3つの質問をさせていただきましたが、いずれもとても参考になるお話でした。ありがとうございました。


【 清水祐孝(しみずひろたか)氏のプロフィール】

株式会社鎌倉新書 代表取締役社長兼会長CEO。

1963年生まれ、東京都出身。慶応義塾大学を卒業後、証券会社勤務を経て1990年父親の経営する株式会社 鎌倉新書に入社。

同社を仏教書から、葬儀や墓石、宗教用具等の業界へ向けた出版社へと転換。その後、「出版業」から「情報加工業」へと定義づけ、セミナーやコンサルティング、さらにはインターネットサービスへと事業を転換した。

現在は、CEOとしての業務の傍ら、証券会社等が開催する終活セミナーの講師としても活躍している。

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塚本 優(つかもと まさる)
終活・葬送ジャーナリスト。早稲田大学法学部卒業。時事通信社などを経て2007年、葬祭(葬儀、お墓、寺院など)を事業領域とした鎌倉新書に入社。月刊誌の編集長を務めたほか、終活資格認定団体を立ち上げる。2013年、フリーの終活・葬送ジャーナリストとして独立。 生前の「介護・医療分野」と死後の「葬儀・供養分野」を中心に取材・執筆活動を行っている。

[塚本優]