第63回:「デジタル遺品」とは何か
故人が残していったデジタルデータやオンラインの資産は「デジタル遺品」と言われます。
この「デジタル遺品」という言葉は、正確には何を指すのでしょう。
類義語である「デジタル遺産」との違いはあるのでしょうか。2021年7月時点で集まる情報をもとに、できるだけ正確に輪郭を描いてみます。
「デジタル遺品」は2015年以降に台頭
「死後のデジタルデータやオンラインの契約をどうするか」という問題は、パソコンやインターネットの普及に伴って国内でもしばしば議論されてきました。
しかし、2000年台まではそれらを指す明確な言葉はありませんでした。
ときに「デジタル遺産」という表現が「Digital legacy」の訳語として、もしくはカギカッコ入りの造語として使われているのが確認できる程度です。
造語のひとつとして「デジタル遺品」という表現も2010年頃からわずかに確認できるようになりますが、頻度は「デジタル遺産」が圧倒的に優勢でした。
状況が変わったのは2015年頃。「デジタル遺品」のサポートをうたうサービスや「デジタル遺品」の文字をタイトルに含めた書籍が刊行され、にわかに言葉としての存在感が強まります。
それから少しずつ市民権を獲得していき、元号が変わった頃から終活や相続の分野でも頻繁に使われるようになりました。
ほぼ同意語といえる「デジタル遺産」も使用頻度がじわじわ高まっていますが、主流の座は譲った感があります。
私も2010年頃からこの領域の調査と執筆を続けていますが、原稿などで「デジタル遺品」を用いるようになったのは2015年からです。
つまるところ、「デジタル遺品」はまだ本格的に世に出てから10年も経っていない新興の言葉といえます。明確な定義をもって公的に誕生したものでもなく、特定の誰かが方向性を与えていることもありません。
おもに3つの輪郭がある
その曖昧さを象徴するのが、2020年1月に行われた衆議院財務金融委員会での質疑です。
串田誠一議員が金融庁に対してデジタル遺品の定義と対策について尋ねたところ、金融庁の栗田照久監督局長は前者についてこう答弁しています。
ちなみに、これが国会において初めて「デジタル遺品」という言葉が使われた瞬間でした。
デジタル遺品につきまして、明確な定義はないと承知していますが、一般的には持ち主の方がお亡くなりになって遺品となったPCやスマートフォンなどのデジタル機器に保存されたデータや、インターネット上の登録情報などを指すものと承知しています
金融庁の見解として、デジタル遺品に「明確な定義はない」とし、「一般的」な見解として「遺品となったPCやスマートフォンなどのデジタル機器に保存されたデータや、インターネット上の登録情報などを指す」と考えているとのことです。
実際、このスタンスをとるケースは多くみられます。連載の第46回(2020年2月)でインタビューした北川祥一弁護士は著書『デジタル遺産の法律実務 Q&A』(2020年2月/日本加除出版)において、「デジタル遺産(デジタル遺品)」をほぼ同様の定義で説明しています。
大塚商会によるIT用語辞典サイト「いまどきのIT活用」も、デジタル遺品の項目で「持ち主が亡くなり、遺品となったデジタル機器に保存されたデータ、インターネット上の登録情報などのこと」との記載が確認できます(制作協力:インプレス)。
ここにスマートフォンやパソコンといったデジタルデータを保存する機器を加える見解もあります。
デジタル機器は目に見えて手で触れられる物体であり、相続の場面では家電と同じように扱えます。
しかし、道具としての実体はデジタル環境を通してしか把握することができません。
スマートフォンもパソコンも、電源を入れてデジタル環境にログインして使い、様々なデジタル情報を残していくことになります。
故人が使用した痕跡が本質的にはデジタルとして残るという見方から、物体でありながらデジタル遺品に区分するわけです。私も『ここが知りたい! デジタル遺品』(2017年8月/技術評論社)ではその説を採用しました。
一方で、連載第45回(2020年1月)で採り上げた、三井住友信託銀行の信託と死後事務委任契約を組み合わせた商品「おひとりさま信託」のように、輪郭を狭める方向の解釈もあります。
故人が残したネット銀行の口座にある預金やQRコード決済サービスの残高、暗号資産(仮想通貨)といった金融系の資産は従来の延長線上で捉えることになるため、とりわけ別枠でくくる必要がないというスタンスです。
この場合、それ以外のSNSやブログ、Apple IDなどのアカウント、スマートフォンやパソコンに保存したオフラインデータなどだけが「デジタル遺品」となります。
これからの「デジタル遺品」という定義
他にも、デジタル機器を含めつつインターネット上の契約を含めない考え方や、逆に、デジタルカメラ本体に保存された写真データなども加えるスタンスもありますが、総合的にみると上記の3つの輪郭があると捉えればよさそうです。
法的な視点から新興の遺品としてデジタルを捉える場合は、最初に挙げたもっとも一般的な輪郭を採用することが多い印象です。
従来の法的枠組みでは扱いづらい非物体(デジタル)の遺品を捉え直すニーズがあるのかもしれません。
パソコン修理サポートやスマホ解析サービスなど、ハードウェアを拠点にデジタルを見据える界隈では広い輪郭がしっくりきます。
故人のデジタル機器という物体が出発点にあるゆえ、ハードウェアが含まれる傾向が強いのはすんなり腑に落ちます。
他の業界とくらべて、「デジタル遺産」との揺らぎがあまりみられず、ほぼ「デジタル遺品」で統一されている点も興味深いところです。
最後の狭い定義が金融業界中心にみられるのは、前述のとおりです。
では今後はこの輪郭はどう変化していくのでしょう。
遺品(遺産)は亡くなるまで持っていたものです。今後は老若男女を問わず、デジタル環境を亡くなるまで持ち続ける人が増えていくでしょう。するとあらゆるタイプのデジタル遺品が増えていくと予想されます。
新たなカテゴライズが必要な画期的なデジタル機器やサービスが普及することもあり得るでしょう。するとデジタル遺品の定義は広がる方向に進んでいくように思われます。
しかし、私は狭く小さくなる方向に進むのではないかと予想しています。
金融業界では、ネット銀行の預金等をデジタル遺品に含めない傾向がありました。
ネット銀行であっても、相続時に行う手続きは従来型銀行と違いがなく、あえて新設のカテゴリーに入れる必要がないためと推察されます。
そうした「あえて入れる必要がない」状況がデジタル遺品全般に広がる可能性があります。
紙焼きの写真とデジタル写真、システム手帳と予定表アプリ、自宅の鍵とスマートフォンのロックが別物ではなく同種のものと見なせれば新設の枠は不要でしょう。
デジタル遺品が相続や遺品整理の場面で当たり前に現れるようになれば、自ずとそうしたケースが増えるはずです。
かつて「ネチケット」という言葉がもてはやされました。インターネット上でのコミュニケーションに関するエチケットを表す造語です。
いまはあまり見かけなくなりましたが、ネチケットが不要になったわけではありません。リアルでのそれと区別する必要がなくなったために用いる意味が低下していったのだと考えられます。
数年後か十数年後か。デジタル遺品も同じ道を辿るように思われるのです。その頃には、デジタルで残る遺品の異質感や正体不明な感じがかなり低減しているのではないでしょうか。
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- 2020年1月28日 衆議院財務金融委員会|衆議院インターネット審議中継アーカイブ
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古田雄介(ふるた ゆうすけ)
1977年生まれのフリー記者。建設業界と葬祭業界を経て、2002年から現職。インターネットと人の死の向き合い方を考えるライフワークを続けている。著書に『故人サイト』(社会評論社)、『ここが知りたい! デジタル遺品』(技術評論社)など。2020年1月に、『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)を刊行した。