第28回:新型コロナ収束後の葬儀はどう変わるか儀式を重視した「やり直し葬」を行なおう!
新型コロナウイルスが猛威を振うことにより、葬儀は、参列者が激減して小人数の葬儀になったり、儀式は行なわない火葬のみの直葬も増えています。
そのため、思うような葬儀を出来なかった遺族や参列予定者からは、「この後、どうしたら良いのだろうか」との声が聞かれます。
また、葬儀業界関係者からは、「新型コロナウイルスの猛威が長期化すると、収束後には、葬儀のあり方も変わってしまうのではないか」という声も聞こえてきます。
そこで、行政書士で、葬祭カウンセラーとして専門学校葬祭コースの講師や全国各地の僧侶研修の講師などとしても活躍されている勝桂子(すぐれ けいこ)氏に、新型コロナ収束後の葬儀についてお聞きしました。
葬儀の価値は、皆で集まって思い出話をするところにある
新型コロナウイルスによる影響が拡大、長期化するに伴い、思うような葬儀を出来なかった遺族や参列予定者が増えてきています。これについては、どのようにお考えですか。
葬儀を行なおうとしていても、コロナの影響でやむを得ず直葬になってしまったり、あるいは、少ない参列者で一応葬儀を行なったご遺族でも、故人が亡くなったことについて腑に落ちなかった場合には、コロナが収束してから葬儀をやり直していただくのが良いと思います。
というのは、葬儀、葬式の本来の良さ、価値というのは、皆で集まって思い出話をするところにあるからです。
もちろん、交通事故などで突然亡くなられた場合は、非常にショックなので、荘厳な儀礼によって皆を癒して落ち着かせるといった意味もありますが、天寿を全うされた場合には、葬儀に参列する人に共通する価値はむしろ、エピソードの共有にあるのです。
叔父さん、叔母さんから小さな孫、ひ孫、友人、会社の元同僚まで集まって、昔からのいろいろな思い出話をするうちに、話している当事者たちは、亡くなってしまったということを納得し、腑に落としてゆくことができます。
そして、その思い出話を傍らで聞いている子や孫たちも、自分たちが知らなかった故人の様々なことについて知ることができます。
そのことによって、子や孫たちは、「祖父母や両親に恥じないように立派に生きていこう」とか、「死んでから皆が集まった時に、恥ずかしくない人生にしよう」とか、あるいは、「たとえ会社の上司から命令されても、食品偽装やデータ改ざんなど、人の道に外れることはしないでおこう」などといったことに気づく契機になります。
それが、昭和の時代までの葬儀の価値だったのです。
つまり、参列者が少ない葬儀は、そうした葬儀本来の価値が少なかったり、無かったりするわけですね。
そうです。親族だけ、家族だけの内輪の葬儀では、これまでに何度も聞いたことがあるエピソードしか出てきません。よく知った故人のまま、昨日まで一緒に食事をしていた姿のままで、お別れすることになります。
そうすると、家族や親族は、故人の幼少期の逸話や会社での顔を知ることができる唯一の機会を逃してしまうことになります。
幼い孫たちにも人生の機微が伝わることなく、「人間はあっけなく死んでしまうもの」という虚無感だけが残ってしまいかねません。
葬儀をやり直した方が良いと言われる意味が良く分かりました。
7都府県で非常事態宣言が出され、今日は4月8日ですから、まだしばらくはきちんとした葬儀を行なうのは難しいでしょう。
コロナが収束するまでに亡くなった人が、仮に、葬儀社と葬儀の生前契約で、150万円を前払いしている人だったとします。
それならば、葬儀は集まれる人だけで50万円で行ない、残りの100万円で、納骨の時や一周忌の時に皆で集まって「やり直し葬」を行なう。葬儀社さんとそういう相談をする余地もあるでしょう。
生前契約をしていない人の場合でも、後日、「やり直し葬」を行なった方が良いと思います。
「やり直し葬」と「お別れ会」とは違う
葬儀紹介会社が、3月1日~4月末までの間にコロナウイルスの影響でやむを得ず最小限の参列者で見送られた人を対象に、コロナウイルスの収束後、多くの参列者を呼んで「お別れ会」を行なう場合、費用の一部負担を行なうというキャンペーンを行なっています。また、これに呼応するように、一部葬儀社でも同様のキャンペーンを行なっています。これについては、どのように思われますか。
葬儀紹介会社が呼びかけている「お別れ会」は、私がお勧めしたい「やり直し葬」とは違う場合もあると思います。
私が言う「やり直し葬」というのは、知人僧侶が「やり直し葬」と呼んで行なっているものを借用したものです。
もともとは、遺言に従って、夫の遺骨を全部海洋散骨してしまった奥さんが、話しかける対象がないために精神不安になり、僧侶のところに相談に来られたところから始まりました。
僧侶は、位牌をつくってくれたら、私が御魂を入れてあげましょう。そういう「やり直し葬」をしませんかと提案し、それを行なったところ、精神がとても安定したというのです。
ですから、「やり直し葬」というのは、宗教儀式を伴うものです。
葬儀紹介会社が呼びかけているのは、参列者が少なかったので、コロナ収束後に人を集めて会食しましょうという、「お別れ会」に近いものではないでしょうか。
いわゆる葬式は、葬儀式と告別式から成り立っています。「やり直し葬」というのは葬儀式のやり直しであり、「お別れ会」というのは告別式をもう一度、あるいは別にやりましょうということですから違うのです。
葬儀の価値は、皆で集まって思い出話をするところにあるというお話でしたが、それだけではなく、儀式によって故人を弔うということも遺族にとっては大切であるということですね。
そうです。やむを得ず直葬にした方々は、死別の事実が腑に落ちていない方がほとんどだと思うのです。
気持ちがふわふわして落ち着かず、死後何カ月も過ぎた頃からすごく不安になったりする可能性があります。
東日本大震災のとき、ご遺体を見ていないから、死んでしまったということが腑に落ちず、仮設住宅の中で、不安になる方やうつになる方、あるいは幽霊を見たという方がたくさんいらっしゃいました。
それと同じ状態になる方が、今回もいらっしゃるのではないかと思います。
そのような場合、仏式であればお位牌をつくれば良いですし、仏式でない場合も、それぞれの宗教儀礼に則って行なえば良いのです。
そうしますと、「やり直し葬」と、儀式の伴わない「お別れ会」を行なう場合とでは、行なう場所なども変わってきますね。
そうです。「やり直し葬」は、葬祭ホールやお寺、霊園・墓地などの施設が相応しいと思います。
宗教儀式の伴わない「お別れ会」は、ホテルやレストラン、カェフなどで行なえば良いことです。わざわざ高いお金を払って葬祭ホールを借りる必要はありません。
葬儀紹介会社が葬儀社に呼びかけて「お別れ会」を行なう場所が、葬祭ホールだとしたら、それはちょっと疑問です。そもそも、葬儀社さんは儀礼を伴わない会合でお金を取ってはいけないと思います。
私が葬祭カウンセラーとして一番懸念するのは、中身のない「お別れ会」や「偲ぶ会」などが、私が言う「やり直し葬」であるかのように広がってしまうことです。
その結果、儀礼を伴っていないのに葬儀、葬式と呼ばれ、葬儀、葬式の意義や価値がすごく薄っぺらなものになってしまうことを懸念します。
ただ、一般の人には、「やり直し葬」と「お別れ会」という名前だけでは、違いは分かりませんね。さらに、「お別れ葬」といったように、葬儀社が“葬"の文字を使いだすと、違いがもっと分らなくなります。
では、見分け方をお伝えしましょう。
例えば「お別れ葬」にある“葬"の字に、どのような意味があるのかを、きちんと説明してくれる葬儀社さんを選びましょう。
説明にあまり意味が感じられないようだったら、「それでしたら、葬祭ホールは使わないで、ホテルかレストランでやりたいと思います」と言って、一旦引いてみましょう。
すると、葬儀社さんは、「葬祭ホールですと、故人様の最後のご様子なども、周りの人を気にせずにお話できます」などと言って、葬祭ホールを推してくるところが多いと思います。
しかし、周囲に聞かれずにやれるというだけの理由なら、貸切りのレストランで十分なのです。
ですから「懇意にしているレストランを貸切りでできますので」などと言って、また引いてみてください。
そこで、「ちょっとお待ちください」と言って、きちんと“葬"の中身を語れるかどうか、それで見分けることができます。
お別れの事実を納得するため、葬祭ホールである理由を明確に語ってくれるのであれば、それは「お別れ会」ではなく「やり直し葬」であると思いますから、葬祭業者にお金を払う価値があるでしょう。
寺院や石材店が「骨葬」を行なう
勝さんは、以前から、「お寺での骨葬」を推奨していらっしゃいますね。骨葬というのは、火葬した後に、骨壷を前に葬儀を行なうことですから、コロナの影響でやむなく直葬を行なった人が「やり直し葬」を行なうというのは、まさに骨葬をするということですね。
はい。経済的な理由などで安易に「直葬」にしてしまったけれども後悔しているという方には、お寺での骨葬を推奨しています。
葬儀のときは直葬にしてしまっても、四十九日忌や納骨の時に、寺へ友人・知人なども呼んでゆっくり骨葬を行ない、ともに食事もし、ゆっくり語らうというものです。
葬祭ホールで葬儀を行なうよりも、時間的制限は少ないので存分に語り合うことができますし、お金も安く済みます。
今回は、自分たちの出番だと考えている僧侶も多いようですね。また、墓石を販売している石材店からは、「直葬しかできなかった人は、納骨の時に、骨葬と納骨式を兼ねて行なえば良い」との声も聞かれます。これは、どう思われますか。
納骨式というのは、僧侶に埋葬供養のお経をあげてもらう宗教儀礼の場です。そこで骨葬も行なうというのは、非常に良いご提案だと思います。
直葬は5割を超える
次に、コロナの影響が収束した後の葬儀についてお聞きします。葬儀は、どのようになると思われますか。
コロナの猛威や自粛期間がどれくらい続き、日本経済がどのくらい打撃を受けるかによって変わってくると思いますので、先は読めません。
ただ、直葬が加速度的に増え、普通のことになってしまうのではないかとは感じます。
私は、行政書士として相続手続きを受ける時に、死後事務委任として葬儀も受けることもあるのですが、都市部での直葬の比率は、今までは高くても3~4割という体感でした。
それが、コロナの収束後は、5割を超え6割くらいになっていくことも考えられます。
というのは、今までは、直葬でよいと思っていても、親戚に言われたりしてそれなりの規模の葬儀を行なっていた人も多かったと思うのですが、コロナの影響で生活が苦しくなったりすると、親戚もそういうことは言わなくなるでしょう。
あるいは、従来は葬儀を行なっていた経済力のある人たちでも、周りで直葬が多くなってくると、「うちも、もう直葬でいいわ」という人が増えてくるのではないかと思うのです。
それをどうしたら良いと思われますか。
直葬にする人たちは、お坊さんに何十万円というお布施を払ってお経をあげてもらっても意義が感じられないなど、今の葬儀に価値を見出せないから直葬を選んでいるので、もう止めようのない流れになってしまっています。
ただ、一般の人にお伝えしたいのは、葬儀は、故人とお別れしたということを納得するためのものだということです。菩提寺のご住職の読経や法話でそうした力を感じることができなければ、別の僧侶にお願いすればよいと思います。
いまはさまざまな僧侶派遣サービスもありますし、ホームページやSNSで法話を公開している僧侶も大勢いらしゃいます。この方にお願いしたいと思える人と出会い、必要ならば墓じまいもし、自分や親族の葬儀をお願いするご縁を決めてゆきましょう。
葬儀のときに読経してくださる僧侶は、あの世で仏弟子となるときの師匠なのです。生まれた家がたまたま所属していた寺だからと、納得もできないのに自分や家族の生涯を託す必要はありません。いまは親戚がうるさく言う時代でもありません。
コロナ禍で市民の誰もが不安を抱え、経営難に苦しんでいるのに、なんの救いの手もさしのべない僧侶では、腑に落ちる法話も読経も期待できません。
自粛が長引く間に、法要のオンライン(遠隔)対応をするお寺も出てきています。つまり、遠くのお寺であっても、法要をお願いできる時代が来ているのです。
コロナをきっかけに、人生観、死生観が変わる
直葬が増えるということ以外には、どのような変化が起こると思われますか。
プラスの面で言いますと、今までは、病気や死の話というのは、人前でするものではありませんでした。
しかし、今回のコロナの猛威によって、人はいつ、どんな形で死んでしまうか分らないということが世界的に流布されました。そのことにより先進国特有の「病や死のことはなるべく見ないように日常を過ごす」という風潮も無くなっていくという変化はあると思います。
言葉を変えますと、コロナは、皆に死を覚悟させるきっかけになったと思います。
志村けんさんだって、元気でぴんしゃんしてテレビに出ていたのに、コロナに感染して翌週に亡くなりました。これは誰しもが感染する可能性のあるウイルスですから、皆が死を意識せざるを得えなくなったでしょう。
東日本大震災のように局地的ではなく、日本全土、世界全体であることが、今回の猛威の特徴ですね。
しかも、COVID-19が抑えられたとしても、こうした感染症はまた出でくるでしょう。SARS(サーズ)もMERS(マーズ)もまだ撲滅されていませんしね。
となると、病気や死のことを日頃考えるのは良くないことだと言われたり、アンチエイジングがもてはやされたり、これまでは長生きするためのものに皆、お金をかけてきたけれども、「長生きすれば良いというものではないよね」という考え方が出てくると思います。
そうすると、元気なうちに会いたい人に会って、伝えておきたいことを伝えておこうとか、皆がもう少し一日一日をきちんと生きるようになるのではないでしょうか。
オンライン葬儀が増える
オンライン葬儀は以前からありましたが、あまり注目されていませんでした。今回は、ミーティングソフトの「ZOOM」という新しいツールの登場もあって、オンライン葬儀を導入する葬儀社が増えてきています。このオンライン葬儀は、コロナ収束後には、どうなると思いますか。
増えると思いますし、増えて欲しい面もあります。というのは、家族・親族など親しいものだけで行なう家族葬が、ゆっくり見送れるということでもてはやされてきましたが、弊害もあるからです。
故人の友人や会社の同僚など、弔いたいと思っていても、弔えなくなった人がたくさんいるという弊害です。
しかも、葬儀に呼ばなかった人には、亡くなったことを年賀状でお伝えすれば良いと思われていましたが、年賀状という習慣そのものが無くなりつつありますから、亡くなったことを身内以外の誰にも伝えないということが起こってきています。
しかし、オンライン葬儀であれば、誰もが、全国どこからでも参列できます。
遺族が、故人のメールアドレスと繋がっている人全員に、亡くなったことと、希望される人はオンラインで参加できることをお伝えする。
そうすると、参加したい人だけがオンラインで最期のお別れができますので、良い面はあると思います。
しかも、香典や供花、供物などもオンラインを介して送ることができますしね。
家族葬になって、香典を辞退する遺族や地域も増えてきていますが、オンライン葬儀が香典を見直すきっかけになるかもしれません。
1~2年前に「ドライブスルー葬」といって、式場の入り口でお香典をお渡しできるサービスが出現しました。
私の周りでは、「車で葬祭ホールの近くまで来ているのに、なぜ遺族と顔を合わせないで、香典だけ置いて帰るのか、意味が分らない」と批判する人が多かったのですが、私は、完全否定はしませんでした。車椅子の人でも、香典だけでもあげたいと思って弔いに行けるのだから、ケースによっては良いと思うのですよ。
遠隔からのオンライン葬儀にも同じことが言えます。遠隔だと儀礼が軽んじられるイメージもありますが、僧侶の資質いかんで、映像や録画であっても、納得のいく儀礼は実現できると思います。
ただし、オンラインでは気持ちが伝わりにくいという点もあります。
また、画面のこちら側では喪服を着ないで(ビデオオフにして)参列する人も出てくるでしょうし、途中で飲み物を取りに行くことなども可能ですから、儀礼の荘厳さや重々しさは欠けてしまうことも考えられます。
参加する側が、いかにしめやかな気持ちで、儀礼に参加しているという折り目正しさを保持できるのか。節度や意識が問われるところです。
コロナによって、世の中全体でオンラインやリモートが広がってきましたから、葬儀で一番変わるのもそこかもしれませんね。いずれにしても、コロナによって、社会のあり方や人の生き方が見直され、葬儀も見直されることによって、葬儀のあり方も変わってくるというお話だったかと思います。今日は、貴重なお話をありがとうございました。
【勝 桂子(すぐれ けいこ)氏のプロフィール】
ファイナンシャル・プランナー、行政書士、葬祭カウンセラー。
遺言、相続、改葬、任意後見、死後事務委任などエンディング分野の実務に応じるほか、『心が軽くなる仏教とのつきあいかた』(2017年 啓文社書房)、@@link|『いいお坊さん ひどいお坊さん』(2011年 ベスト新書)著者として各地の僧侶研修、一般向け講座などに登壇。
また、生きづらさと向きあう任意団体「ひとなみ」を主宰し、宗教者や医師、士業者、葬送分野の専門家と一般の人を交えた座談会を随時開催している。
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塚本 優(つかもと まさる)
終活・葬送ジャーナリスト。早稲田大学法学部卒業。時事通信社などを経て2007年、葬祭(葬儀、お墓、寺院など)を事業領域とした鎌倉新書に入社。月刊誌の編集長を務めたほか、終活資格認定団体を立ち上げる。2013年、フリーの終活・葬送ジャーナリストとして独立。 生前の「介護・医療分野」と死後の「葬儀・供養分野」を中心に取材・執筆活動を行なっている。