古田雄介のネットと人生
第15回:SNSに言葉を遺していく人と受け取る人の思い

[2017/8/10 00:00]

自身の身体と真正面から向き合い、闘病ブログや闘病SNSを遺していく人がいます。そして、遺されたそれらのサイトは家族や友人に引き継がれることがあります。

遺していった人と受け取った人、それぞれにどんな思いを抱くのでしょうか。あるご夫婦にお話を伺いました。

3年半闘病して亡くなったhiroさんの思い

大阪で働く壮年の会社員、hiroさんがブログ『cancer life 肺がんオヤジのつぶやき(現名:生き続けてやる肺がんオヤジのつぶやき No2)』を開設したのは2013年7月4日。

ステージ4の肺がんと脳転移の告知を受けた翌日のことでした。ブログには、病気のことは友人や行きつけの理容師にも隠さず伝え、心のなかにもタブーを作らないhiroさんのまっすぐな性格がはっきりと反映されています。落ち込んだときの心情も正直で克明でした。

<告知を受けた人間の正直な気持ちです。
「死にたくないです。何かの間違いだといまだに信じてます。でも現実です。本当にまだまだ死ぬわけにはいかないのです。子供の成人した姿を見ないといけないのです。息子と酒を呑(の)みたいのです。だから生きたいのです。わがままは言いません。だから生きたいんです。娘の花嫁姿が見れるまで生きさせてください。」(2013年7月11日の日記より)>

『生き続けてやる肺がんオヤジのつぶやき No2』。基本的に前向きな日記が多いが、ネガティブな思いを吐露したいときは気持ちに正直に従った

最初は日記を書くための場として軽い気持ちで始めたというブログでしたが、治療を進めるなかで同じ病気を抱える他の人の闘病ブログを読むうちに考えがかわっていたそうです。2016年当時、hiroさんはこう教えてくれました。

「肺がんひとつにしても症状が人それぞれだと気づいたんです。なら自分の治療法や副作用のことも誰かの参考になればという思いで書くようになっていきました。病気の生存率でいえば死んでいてもおかしくない人間が元気にしていることで希望も持ってもらえたら嬉しいですしね。そして何より、いつか子供達が自分のブログを見た時に親父を思い出してくれたらという思いもあります」

ブログに続き、2013年10月からツイッターも始めた。最初はブログの告知投稿が中心だったが、すぐにちょっとしたつぶやきはこちらを使うようになった。hiroさん本人による最後の投稿もツイッターだった

更新を続けるうちに、自分のための場は家族や仲間を意識する場に変わっていきました。そこから同じ境遇の仲間でチームブログを作るようになったのは自然の流れだったように思います。

2015年3月、hiroさんは『cancer life~』と並行して、がん患者やその家族、応援者が集まって作るチームブログ『生きる! (現名:がんと共に生きる! ブログ)』をスタートさせました。こちらは託すのではなく、「終わらない」のがコンセプトです。

<がんになって最初にしたのが、ネットでの検索でした。
そしてブログを読むんですが…
どうしても最後は亡くなっているか、更新がされていないかなんですね。
個人のブログなんで仕方が無い事なんですが(^_^;)
なので、終わらない!ブログを作りたいなと(^^)誰かが書けなくなっても、誰かが更新している。だからブログには、新しい情報やその時に沿ったがん治療の思いなどが書かれている。
そんなブログを作れればと考えてます(^^)(canser life 2015年3月8日)>

『がんと共に生きる! ブログ』。開設時にhiroさんが掲げたコンセプト投稿「ブログを一緒に作りませんか?」はいまもトップにある。もちろん募集中だ

内容や更新頻度に縛りは設けず、メンバー数やアクセス数の目標もありません。あるのは「できれば永遠に続いてほしい」という願いのみ。そんなコンセプトに賛同して数名のメンバーが集まり、hiroさんを中心にゆっくりと歩みを進めていきました。

hiroさんは自分のブログとツイッター、チームブログでの発信と交流を2017年1月まで続け、同年2月に息を引き取りました。終末期医療が始まってもめげず気負わず、日々の気づきや感じたことを文字にしていき、最後までらしさを貫いたことは検索すればいまでも追えます。

その後、チームブログはhiroさんの望んだ通り、終わりませんでした。現在も月に3~4本ペースの記事がアップされています。その書き手のなかには、hiroさんの伴侶であるKaoさんもいます。

生前は夫のブログやツイッターを見ないようにしていたKaoさん

hiroさんの闘病中、Kaoさんはブログやツイッターをあえて見ないようにしていました。デジタル機器やネットが不得手ということ以上に、身内には打ち明けられない思いがそこにあるような気がして遠慮していたといいます。

しかし、hiroさんの手で更新するのが難しくなってきたと友人から聞いたのをきっかけにブログを引き継ぎ、hiroさんの気持ちやメッセージを代筆するようになりました。2016年12月のことです。

そして、hiroさんが亡くなったいま、遺されたブログやツイッターはKaoさんたち家族にとって重要な意味を持つようになりました。

2016年12月10日、Kaoさんは初めてブログに代筆投稿した。

「ブログやツイッターはhiroの闘病と生きた証そのものです。hiroのそのときの思いを知ったり感じたり、フォロワーさんとのつながりを知ったりできました。

私自身が他の方のブログを拝見する機会も増え、同じように死別した方のブログに共感し、前を向いて歩けるようになりました。hiroのブログやツイッターがなければ、正直もっとがんが病気が憎く、辛く思えていたかもしれません。

子ども達も、成長していく過程で何か思い悩み、父親が必要になったとき、サイトを見ることで何か導きであったり、感じるものがあったりするんじゃないかと思います」

子供のためにも先々まで残しておきたいという願いは、図らずも夫婦共通の思いになっていました。しかし、ブログやツイッターのIDやパスワードはhiroさん本人から引き継いでいないため、残された携帯電話のメモリー頼りの状況で、いつ限界がくるか分からないともこぼします。

「『生きる!』は他の方も一緒に運営してくれていますし、家族の立場でも発信していけるので、このまま存続していきます。他のサイトも更新は難しいですが、残しておきたい思いはあります」

家族との会話では現れない本音に出合うことも

ブログやSNSの多くは全世界に公開されていますが、それでいて現実の自分にフィルターをかけることもできます。名前を伏せたり、近しい人にだけは内緒にしたり、そこにいる傍観者として自らのディテールを無にしてみたり。現実の自分に1枚2枚と好きな薄紙で覆えるわけです。自分の思いを言葉にするとき、そのフィルターがあってこそ本音を剥き出しにできる場合もあります。

hiroさんはブログやツイッターで、死の恐怖も、家族に思いが伝わらない苛立ちも包み隠さず発信していました。そこには現実では誰にもいえない本音があったようにみえます。Kaoさんはそれらを読み込んだうえで、ネガティブな感情表現もすべて含めて大切なものだと語ります。

「hiroも、引き継いだ私も、ブログには弱音もそのまま綴っています。やはり身内には近すぎて逆に心配かけたくない思いから、あまり本音が言えなかったりしますから」

家族に言えずにインターネットに放り込まれた本音は、別の誰かの支えになりうることをKaoさんは強調します。

「闘病中、hiroの思いや辛さのすべては理解できませんでしたし、奮い立たせるために分からない振りをすることもありました。hiroも支える家族、残される家族の思いのすべては理解できなかったと思います。だから、お互いを理解するために、本音のヒントを探すために他の方のブログを検索しました。

批判的な内容もあると思いますが、人間は当事者にならないとわからないものです。書き手側が本音なので、読み手側も本音で向き合うのがいいと思っています」

仮想現実と表現されることもあるインターネットですが、そこには現実空間以上の本音が置かれていることもあるかもしれません。そして、それが誰でも触れられる状態で存在していることはとても貴重なことではないかと思います。

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古田雄介(ふるた ゆうすけ)
1977年生まれのフリー記者。建設業界と葬祭業界を経て、2002年から現職。インターネットと人の死の向き合い方を考えるライフワークを続けている。書き手が亡くなった100件以上のサイトを追った書籍『故人サイト』(社会評論社)を2015年12月に刊行。2016年9月以降、デジタル遺品研究会ルクシー(http://www.lxxe.jp/)の理事を務めている。2017年8月にはデジタル遺品解決のための実用本『ここが知りたい! デジタル遺品』(技術評論社)を刊行する。

[古田雄介]