旦木瑞穂の終活百景
第十三景『国産回帰を目指して假屋崎省吾とコラボしたお棺メーカー「日本コフィン」』

[2016/11/15 00:00]

現在、日本にはお棺メーカーが5~6社あります。

その中でも「日本コフィン」は、家具作りに用いられる化粧合板の技術を応用して、「フラッシュ棺」という今までにない、軽量なお棺を開発した、お棺メーカーのパイオニアです。

2013年に「日本コフィン」は、華道家の假屋崎省吾(かりやざき しょうご)氏とコラボレーションしたお棺、「花筐(はながたみ)シリーズ」を発表しました。

假屋崎省吾氏のプロデュースによる「花筐(はながたみ)」シリーズ

また、2015年には、芥川賞作家で臨済宗僧侶の玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)氏監修のもと、「日本のお棺シリーズ」を。そして、美術織物製織会社である龍村美術織物の監修のもと、龍村美術織物製のオリジナルの布と国産檜(ひのき)を使用した「光悦菊」と「舞鳳凰」を発表しました。

今回の終活百景は、次々に新しい取り組みに挑戦する「日本コフィン」の、代表取締役社長を務める平山八広(ひらやまやひろ)氏にお話を伺ってまいりました。

平山八広社長

日本のお棺の移り変わり

「日本コフィン」は、1965年設立のお棺メーカーです。会社は広島県府中市の、かつては家具製造会社が軒を連ねていたという、木工団地の中にあります。

土葬が主流だった頃のお棺は、座棺や棺桶など、地方によってさまざまな形がありました。それらは、土の中に埋めても壊れないよう、分厚い木の板を組み立てて作られていました。

「昔の棺は丸太から切り出した木の板でできていましたから、重くて節があって、扱いにくかったんですよ。そこで、家具作りでは当たり前になっていた技術『フラッシュ構造』を応用して、当社が初めて『フラッシュ棺』を作ったんです」

平山八広社長は言います。

「フラッシュ構造」とは、木で枠を組み、両側に薄い板を貼った構造です。板と板との間に空洞ができるため軽くなり、側面にだけ薄い化粧合板などの白く節のない木材を使えば良いので、木材の有効利用になるだけでなく、仕上がりの美しいお棺ができるようになりました。

「創業当時はまだ縁起を担ぐような時代です。葬儀社さんから『ご遺体をベニヤで作ったような粗末な棺に入れるのか』などと非難されたりもしました。新しいものは受け入れられない風潮があったので、創業者は『売れなかったら3年で諦めよう』と考えていたそうです。しかし、人々は軽さと美しさに驚き、『フラッシュ棺』は瞬く間に主流になりました」

もともと「日本コフィン」は、戦前から桐箱屋を経営していた現在の会長と、他の2人で立ち上げた会社でした。そのため、それまでは家具に使われることが多く、棺には使われていなかった桐を、薄くスライスして化粧合板として棺に使ったところ、「白くて美しい」と評判になったと言います。

日本製は絶滅危惧種

「最近は死亡者数が増えて、市場が大きくなっています。でもその一方で、葬儀の規模は小さくなっている。しかし、中国製のお棺が安い価格で市場に登場しました。最初の頃は『需要も増えてるから』とあまり気にせずにいたんです。ところが、あっと言う間に中国製が95%以上のシェアを占めるまでに至りました」

創業当時は、お棺は全て日本で作られていました。50年ちょっとの間に、日本のお棺のほとんどが中国製になってしまったことになります。

「中国製は安いのですが、粗悪なものが多く、しっかり検品して、修繕しないと市場に出せません。お客様には『中国製なのですみません』では済まされません。当社の商品には変わりないですから」

平山社長は、中国の工場との間を行き来しながら「こんなことをしていていいのだろうか」「もう一度見直した方がいいのではないか」と考えていました。

「当社でどういうものができるのか。どういうものを作るべきか。どういうものが求められているのか。このままでは、日本でお棺を作ることができなくなってしまうという危機感がありました」

そして2012年に決断します。

それまで、「これ以上数を落としたら、2度と製造できなくなる」というギリギリのところまで落としていた国産品の製造ラインを、徐々に再開することにしました。

「いざ本格的に再開しようにも、材料を調達しようにも、以前の取引先がなくなっていたり、取引先も中国に頼っていたりして、思うように進まないんですよね。これはお棺メーカーに関わらず、日本全体が同じだと思います。メイドインジャパンってどういうことって思います」

平山社長は苦笑します。

「材料から日本製のものに限ったら、ほとんどのものがそうではありません。『組み立てが日本なら日本製』という概念になってきています」

平山社長は、今や絶滅危惧種となりつつある『日本製』を残し、増やしていきたいと考え、まずは自身の会社でできることから取り組み始めました。

棺の窓部分の細工を担当する職人さん
窓部分の布を手作業で貼る
手作業で布を貼っていく
お棺の底の部分の仕上げ

お棺のブランディング

「日本コフィン」は、布張り製のお棺と、木製のお棺の2本立てで製造ラインを再開しました。しかし、いくら日本製にこだわっても、『売れない』という現実に直面します。

「こちらがいくら日本製だから買って欲しいと思っても、お客さんにそれを知らせないといけません。さらに今は、お棺は葬儀社さんのセレモニープランの中に組み込まれてしまっています」

オプションなどで選択の幅が設けられていれば、選ぶ人は出てくるかもしれません。しかし情報もなく、選択の余地もなければ、消費者は提示された商品から選ぶほかありません。

「だから最近では、お棺メーカー各社も消費者を意識した商品作りに力を入れ始めました。以前は葬儀社さんが望む商品を作っていましたが、それでは生き残れません。今主流になっている花祭壇やシンプルな祭壇に、棺としてコーディネートできる商品を開発しています」

しかし消費者には、中国製と日本製の違いが、なかなか伝わりません。平山社長は悩みます。

「あるとき知人から、『ブランディングだよ』とアドバイスをもらいました。それからというもの、いろいろな人に相談を持ちかけ、假屋崎省吾さんを紹介してもらうに至りました」

假屋崎さんは以前、他の業者のオファーで花祭壇をプロデュースした経験があったこともあり、「日本コフィン」のお棺のデザインを快諾してくれました。そして誕生したのが、「花筺(はながたみ)」シリーズです。

「これまでのお棺は、ワンポイントとして花の刺繍があったくらいで、大半が中国製だったため、いかにも中国風だったんです。だから、『お棺いっぱいに花をデザインしてください』とお願いしました」

すると、20枚くらいデザイン画が上がってきました。

「花ってどうしても女性のイメージが強くて、女性向けのデザインに偏ってしまいがちです。そこで思い切って、『残された家族がお父さんへの感謝を表すために、男性のお棺を作りたいんです。華やかな女性のお棺に匹敵するくらい、優雅で気品溢れる男性のお棺が必要だと思うんです』とお願いしました」

約1年後に出来上がったのが、ロイヤルブルーや紺色、瑠璃色が印象的な男性向けのラインナップでした。

「会社として、価値が認められるものを作って、発信していく必要があると思いました。『花筺』という日本製にこだわったお棺のブランドを確立することで、『花筺』以外の日本製のお棺に対する信用も得られると考えました」

平山社長は、日本製のお棺を望む消費者のために、「花筺」というお棺のブランドを作ったのでした。

花筐シリーズ「奥の牡丹」

広がる「花筺」と日本製商品

「花筺」という名前は、假屋崎さんが考えました。

現在、国産にこだわった骨壷を製造販売する、納骨壷・神仏具メーカーの株式会社アサノや、「花筐クラブ」を運営する株式会社ヴェクサスなど、「花筐」は少しづつ広がっています。

「日本製品をグレードアップして、ラインナップを増やしていきたいというのが私の目的なので、『花筺』という名前もデザインも、同じものが他社さんで使われることに何の問題もありません」

今年9月に開催されたエンディング産業展には、株式会社アサノと株式会社ヴェクサスと合同で出展しました。

「『少し高いけど、これくらいの差なら、日本製を選ぶ』そんな世の中にしたいんです。でも『日本製を作ろう』『日本製を広めよう』という動きは、一社だけではできません。日本中のいろんな企業を巻き込んで、みんなで新しい市場を作っていけたらと考えています」

ひたむきに、日本製の商品をどう広めていくかに注力する平山社長。

「一社で頑張っても、年間1万個も作れませんからね。もし上手くいって注文が殺到したら、目が回っちゃいますよ」

そう言っていたずらっぽく笑います。

「安ければいいってものじゃないですよね。葬儀ってお金じゃない。『お、いいね。なんか落ち着くね』でもいい。喪主さんが故人の意思を伝えるために、『こういう葬儀にしたのよ』『この棺を選んだのよ』って語れる商品作りをしていきたい。ストーリーのある葬儀作りのお手伝いがしたいんです。そうすることで、喪主さんも喜ぶし、亡くなった方の意思も尊重できます。全部でなくても、葬儀市場の中の、1割でも2割でもいいからそういう市場を作りたいと考えています」

平山社長は、「デザインには人それぞれの好みはあるが、選択肢がないと広がらない」と考え、「花筺」以降も、消費者を意識したデザインのお棺を数多く発表しました。

2015年に発売された「日本のお棺」シリーズは、「白雲」「木霊」「流水」「青山」「花吹雪」「紅葉」「月に雁」の7種類。芥川賞作家で臨済宗僧侶の玄侑宗久氏の監修で作られました。「木の国日本」の伝統を踏まえ、燃えても毒性分の出ない桐、栓、桜、檜を使用し、木目を活かしたシンプルでモダンなデザインのお棺です。

同じく2015年に発売された、純国産棺「光悦菊」と「舞鳳凰」は、明治27年創業の世界的に知られる美術織物製織会社、株式会社龍村美術織物の監修のもと、作られました。龍村美術織物製のオリジナルの布と国産檜を使用しており、檜のいい香りがする高級棺です。

「花筺」は2013年に発売して以来、これまで年間150本くらいのペースで売れているといいます。

「インターネットで見て、『あのお棺が欲しいんですけど』という消費者の方からの問い合わせが増えています。当社は直接消費者に売る小売りはしていませんので、取引のある葬儀社さんを案内するようにしています」

やわらかな丸いフォルムが美しい

「残る仕事」がしたい

「日本コフィン」は、家具作りに用いられる化粧合板の技術を応用して、「フラッシュ棺」という今までにない、軽量なお棺を開発した、お棺メーカーのパイオニアですが、実はそれ以外にも、1975年にお棺の天板を丸い形状にした「R棺」を開発したり、1988年~1995年にかけて「布張り山型ダンボール棺」を、トライオール社と合同で開発したりしてきました。

「『R棺』は、ご遺体の合掌の手合せが、お棺の蓋に当たることを葬儀社さんに相談されたことから開発されました」

当時のお棺は今のものよりずっと小さかったため、蓋が浮いてしまうことがありました。そこで、蓋の形状をアーチ型に加工し、手が当たらないようにしました。

「『布張り山型ダンボール棺』は、強化ダンボールに布を張ったお棺でしたが、当時はまだ『フラッシュ棺』がようやく出始めた頃だったため、ダンボールのお棺は消費者に受け入れられませんでした。先代は『先見の明』がありすぎたのかもしれません」

平山社長は笑います。

お棺メーカーのパイオニアとして、次々に新しいことに挑戦してきた同社ですが、これからの「日本コフィン」は、どんな取り組みを進めていくのでしょうか。

「葬儀業界の今後は、急速に移り変わっていく気がします。経済的問題や、宗教観の変化、家族構成など、いろんな事象が変化の要因です。まず、喪主になる世代が、就業リタイヤしてからその親の葬儀を行なうようになったのが、簡素化の原因の一つだと思います。社会的なつながりがなくなってから葬儀を行なうから、参列者が減っているのかもしれません」

日本人の長寿化が進み、今や平均寿命は男女とも80代に突入しています。

「人口減少も要因の一つですが、いずれ底打ちする日がくると思いませんか。人口構成の歪みが解消されれば、私はまた、増加に転じるときが来るように思います。最近100年前のこの辺りの写真を見たんですが、今と比べてすごく家が少ないんですよね。と、いうことは、空き家が増えるのは当然のこと。100年前に戻るだけです。底打ちしたらきっと、再生が始まるはず。希薄になったと言われる人と人とのつながりも、見直す日が来るかもしれません」

人は一人では生きられません。「家のつながり」を引き継ぐことは無くなっても、自分が築いた家族や友だちなど、「自分のつながり」は大切にしているはずです。

「宗教離れも一因だと言われていますが、宗教観が薄れた時代でも、何かの拍子に人は祈るんですよね。受験とか、交通安全とか。無宗教でも祈る。多分人間のDNAに組み込まれているのではないかと思うんです」

ここまで静かな口調で話していた平山社長。口調が突然変わります。

「そんな未来を連想しつつ、会社的には、人の役に立つことをしていきたい思っています。お棺メーカーは、ずっと残っていく仕事だと思っています。亡くなる人がいる限り、無くならない。だけど、お棺は燃やしてしまうものだから、これからは“残るもの”を作っていきたいと思っています。その人が関わったものや思い出を、残せるような商品作りをしていきたいと考えています」

平山社長は目を細めます。

「“残るもの”とは何を指すのでしょうか」と尋ねましたが、現在はまだ試作段階で、「来年には発表できる」と平山社長は笑います。お棺メーカーのパイオニア「日本コフィン」の手がける、「残るもの」の発表が楽しみです。

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旦木瑞穂(たんぎ みずほ)
1975年愛知県出身。
産経デジタル「New Roses Web」にてグルメ・イベントレポートや、鎌倉新書「月刊 仏事」で葬儀や介護に関する記事などを連載。
各種パンフレット、ガイドブックなどの企画編集のほか、グラフィックデザイン、イラスト制作も行なう。

Twitter:@mimizupon

[旦木瑞穂]